田原祭り(4) 手筒花火は命がけなのだ
「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」
今年はまだまだ夏が居座っていて、今日も30度を越える暑い日でした。毎年、田原祭りが終わると秋が来る、なんてきっと言われているのだろうと思います。
手筒花火。
豊橋祇園祭りの吉田神社で見たのですが、今回はかぶりつきで見ることが出来て、「あ、そんなことだったのか」なんて発見も。
あれは、花火が上がっている時よりも終わる直前、爆発して手筒の底が抜ける瞬間が一番怖いのでしょうね。恐怖なんてのはそんなもんなんだろうと、考えたのです。死、なんてのも、死んでしまえばもう自分が恐怖を感じる存在ではなくなるのだろうし、その時、底が抜ける瞬間が最も死に近い、死を感じる時間なのでしょうね。
バンジージャンプは通過儀礼として行なわれていて、その他に割礼や刺青なんてのをする民族もいますよね。痛みや恐怖を乗り越えて成人になるとか、一人前の男になるとか。
山岳信仰の「覗き」も、恐怖を通して、なにかが見えるのだろうし、その恐怖を経験することによって、次の段階に進むのだろうと思っています。ええ、ま、そうなると、ステージとかイニシエーションなんてコトバは、別に新興宗教だけじゃなくて、昔からあるってことです。この手筒花火だって、そんなネクストステージへの火のイニシエーションなのだから。
で、手筒花火。
ま、この火花だけでもかなりの熱だろうし、帽子や鉢巻をしないと髪の毛はなくなるのだろうし。持っているのもかなりの勇気がいると思います。火柱は10メートル以上にもなるしね。
ところが怖いのはこのあとで、刻一刻とそれに近づいているのですよ。
花火はその「最後」への序曲であって、それだけでも勇気はいるのですが、その瞬間はもうどうにもならない恐怖というか、逃げ出せない恐怖と言うか、ちびりそうな怖さと言うか。
ドン。と、底が抜ける。その反動で手筒が手から離れそうになる。掴む。身体が持っていかれそうになる。それを押さえ込む。その勢いで手筒を地面に投げつける。
ボクは「あ、爆発、身体が吹っ飛んじゃったよ」なんて思って、なんていうか、ちょっと怖くて、ちびりそうになったんだけれど。
とにかく、こんなことを子供の頃から見ている、そしてやってる豊橋や田原、三河の男は強いだら。
愛好家さん、こんばんは。
そんなに凄くないって。
オレって、ほら、なんていうか、こっそり写すほうだから。三脚もなしで。あんな重装備だと、ちょっと恥ずかしいよねえ。なんかやっぱ、嫌かなあ。プロじゃないし。
オレ流のが写せればいいのだけれど、ありふれた写真ばかりになるかなあ。見たような写真というか。
自分と闘うかあ。闘っているのかなあ。どうなんだろうなあ。
う~ん。
ま、とりあえず10月には一度行きます。
うわっ!?やっぱり、管理人さんの写真は
凄い迫力だなも~(^6^~♪
現場で見る迫力と写真で見る迫力が
リンクしてくるようで。でら感動。
ああいう、なんていうか
「自分と闘ってる姿」に男は感動するのだろうか。
それにしても素晴らしい写真です。
スガキヤ麺太郎さん、こんばんは。
そういう事故もあったんですね。というか、あって当たり前のようにも思います。一歩間違えば…ですもんね。
ランクル、軍隊の隊列ですかねえ。国連かもしれないけれど。やっぱり街中よりも、そういった場所のほうが似合うというのも確かですよね。
ボクはアフリカで少しだけランクル乗ったことあります。でも、未舗装路は怖くて、爆走なんか出来なかったんです。
今度のランクル200も、街中で使う人のほうが圧倒的に多いのでしょうね。king of 4WD なんて言っても、関係ないかもなあ…。
そう、ほんと怖いと思いますよ。
実際に私が子供の頃、手筒花火が暴発して
亡くなったって話を何度か聞きましたよ。
話し変わり、ランクルですかぁ~。
昔パミール高原に行った時、
向かいからカラコルムハイウェイを走り抜けてきた
ホコリまみれのランクルの隊列が来たんですよ。
夕日を浴びて。かっこよかったなぁ~。
普段、街中でしか見ませんから。
チベットやサハラを爆走してみたいですねぇ。