胸の鼓動を聞く頃

公衆トイレの中で新聞紙を燃やしたことがある。
寒くてね。
10月の四国は日中は暖かかったけれど、夜になるとス~っと冷気が街中を覆ってしまっていた。
野宿をしていた夜。
寒さに眠れない、だけならいいのだけれど、冷えてしまった身体はゆっくり震えるだけで、そしてその震えは規則正しくなるだけだった。
睡眠不足と空腹とそして寒さで、少し意識が遊離してしまっていたのだろうと思う。
トイレに入ったのだよ。
そして新聞紙を燃やす。
燃えそうなものを燃やす…。
炎は、それを見ているだけで暖かくなる、マッチやライターの炎でも、きっと。
ボクはそこで少し暖かくなって/なったような気になって、少しの間寝たのだけれど、それはきっと数分とか十数分という短い時間だったと思う。
あとは朝が来るのを震えながら待った。
公衆トイレの中。
胸の鼓動と吐く息の音だけが聞える。
その音を聞くということが、生きているということなんだと思っていた。
そんな規則的な動きというのが、人が生きるってことなんだと思っている。
例えば四角い部屋とか畳の形とか、その表面の正確な模様とか。
その中でしか、その正確な模様の中に織り込まれることが、生きるってことなのかもしれないと、思っている。
テントの中や野宿や、そんな所では、人の正確さ(鼓動とか呼吸とか)は消えうせてしまうのだだろう…。

8畳間でたき火、自宅全焼…料金未納で電気・ガス停止 :YOMIURI ONLINE
調べに対し亀蔦容疑者は、「寒さに耐えられず、畳の上でたき火をしたところ、火が大きくなりすぎた」と話しているという。一人暮らしで、料金未納で電気やガスが止められていた。

他人事ではないと思うのだよ。
あと何年かして、ボクが同じようなことをしないとは言い切れないし…。そんな状況にあることも確かだし…。
確かに悪いことなのだけれど…。
最近の寒さはこの事件の起こった豊橋、二川でも厳しいものだっただろうしね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA