どうだったんだろうガソリン値下げ
昨日4月1日は例の暫定税が失効してガソリンを値下げして販売したらしいのだけれど、品切れになって騒動になった、なんてことはなかったんだろうね。石油ショックの時のトイレットペーパーみたいに。
車を乗ってないから実感できない、というか、「いくらでもいいや」なんて思ったりもする。それよりも問題は「筍を食べたい」ということなんだけれど、今日も今日とてスーパーに行って筍を眺めては「え、このサイズで120円かよ」なんて手のひらサイズのの皮付き筍を見ては溜息ひとつ、ふたつ…。
旬のものは出来るだけ食べようと思っている。来年は食べることが出来るかどうかなんて分からないからね。ま、食べることが出来たとしても、あと何回食べることが出来るのかと思ったりもして、そんな思いで桜も見ていたりしている今年の春だったり。
フキノトウやウドなんてのもあったのだけれど、これも「えっ」って思うぐらいの値段だったりで。こうして書いていると、やっぱ買っとけばよかったか、なんて後悔したり。
つわ蕗を庭に植えていた。黄色い花が綺麗で、まだ父親が元気だったころに。そしてそれは食卓にものぼったし、黄色い花は花びんに挿されては、ボクたちの送り、そして迎えてくれた。つわ蕗の煮物はどうもクセがあって、小さい頃はあまり好きではなかった。だけれど、大人になると「食べたいよね」なんて思うようになった。薄く薄く鰹節で味付けてね。そんなに美味しいというものでもないのだろうけれど、春とか海を感じる食べ物かもしれない。海岸沿いに育つつわ蕗が美味しいのだそうだ。
寮に住んでいると、そんな季節を味わうってことも少ないからね。季節は、ただ暑いか寒いかということだけで、例えばエアコンのスイッチに季節を感じるだけというような、そんな一年になってしまっているのかもしれないね。季節だけではなくて、きっと、つわ蕗の味のような微妙な感じ、というかアクの味、渋みとか苦味とか酸味とかアレとかアレが2対4対2対1対対0.3対…、なんて味を知らないで育ってしまうこともあるのだろうね。
魚の内臓とかも、パック詰めの魚を買っていたのでは味わうことは出来ないだろうから。そう言えば7歳か8歳の時に母親からとても怒られたことがあった。それは夕ご飯に母親が作った魚の煮物の内臓をボクが「これは食べられるの」と聞いたことが原因だったのだけれど、母親は「食べられないものは出してない」と、その時とても怒ったことを、ボクは今だに忘れられないでいるんだ。
あまり怒らない母親だったのだけれど、その時は、ボクがこうして覚えているぐらいに、怒ったことを今も覚えている。ま、考えれば、食べられないものは出しはしないよね。それ以来、好き嫌いはなくなったような…。それから少し食べるということに対して気持ちの変化があったような…。
けっしてグルメとかいうような舌でもなくて、どっちかというと味には鈍感なほうなんだけれど。んでも、ま、スーパーの生鮮食品売場を見るのは楽しいし、季節を感じる場所かもしれないね。筍、明日は買って来る。
えっと、昨日4月1日のいちにち
08:00 起床
08:30 コーヒー飲んで、少し掃除とか
09:00 風呂
09:30 メールチェックとかネットとか
10:30 ホッチキスが来たのでドライブ
11:30 帰宅
12:00 ブランチ(即席ラーメン、シリアル系の例のアレ)
12:30 ゴロゴロ ブログとか
14:30 買物(即席めん、パスタ、歯ブラシ、入浴剤、タオル、ソバ)
17:00 買物から帰って近くの川沿いの桜見物
18:30 帰宅
19:00 食事準備(チンゲン菜、しめじ、卵、餅入り味噌汁、納豆、ヨーグルト)
19:30 食事 同じパターンが多いなあ
20:00 ゴロゴロ テレビ(ものまねとか)
22:30 風呂
23:30 ネット、ネット、ネット
03:00 寝た
渡久米さん、こんにちは。
うんうん、そんな感じに近くなってるかなあ。
何をするにしても。
それは若い頃には感じられなかったことだし。
今年は桜を毎日のように公園に見に行ってるんだけれど・・・。
30歳代に入り、桜が咲くのを見ると、「また1年、生き延びたな」と思うようになりました。
そして散る頃には「また来年も見られますように」と祈るでしょう。