Non title

20年なんて年月は長いようで短かったりする。
ビールのおまけにもらったコップに氷を入れて焼酎を飲んでいる日曜日の午前中に、そんな20年前のことなんかを、酔った頭で考えていたりした。
これまでの20年とこれからの20年という度量衡は同じだと思う。感覚的なもの、例えば質なんてものは違ったとしても、20年は1年の20倍なのだから。そして1年は365日なのだから。そう考えると、その未来に立ったときのボクは、今と同じぐらいの感覚で、今を振り返っているのだろうと思う。
今と同じぐらいの感覚というのは、まだあの頃の部屋の配置やら、1日のスケジュールやら、会話の内容やらを憶えているような、そしてそれが例えば5年とか6年前のことだと言われても「あ、そうだっけ」と言ってしまいそうなぐらいの明瞭さをもった風景の記憶。色や臭いの付いた夢のような感じ。
人との関係の記憶、その人への感懐なんてのは、少し風景とは離れた位置にあって、また違うように思う。「懐かしい場所」と「懐かしい人」とは少し違うと思う。記憶の風景の中にあっては、停止した景色をバックに人だけは常に動いているような感じというか、なにかしらの動きを伴っているというか、当たり前のことなんだけれど、それが立体的というか、いきなり飛び出してくるというか、そんな感じの。
そしてその記憶の中でしか、ボクはいろいろなことを想像できなかったりする。もうその頃会ったきりで、20年もの月日が過ぎてしまっているのだから。
Yさんの突然の死を聞いたのは、まだコップの氷が解けていない午後だった。ボクは少し酔っていた。だからなのかは分からないけれど、それがやっぱり思い出の中での出来事のように感じた。そして「でも動いているよ」なんてつぶやいた。
危篤だということは数日前から聞いていた。それほど遠くない病院にいて、人工呼吸器で息をしているということを知っていた。ボクは何度か行こうかと思ったのだけれど、ボクが行く理由が分からなかった。もう20年も前のことで、それ以来ボクたちは会っていなかったのだから。
それよりもボクはその遠くない病院に行く旅費を高く感じたりもした。人の死に際してそんなことを考えるのはとても不謹慎なことだろうと分かっていても、そう思ったのだ。そして「オレが死ねばよかったのにね」なんて思った。残された子供たちのことを考えると、何も残されていないボクが死ねば悲しむ人もいなくて済んだのに、と思った。そう思うと、やっぱり行かなくて良かったと思った。ボクのようなものが生きているというのも、なんだかおかしな話なのだから。
少し羨ましくもあった。こうしてもう疎遠になっているボクのところにも連絡があって、そしてその状況が毎日届く。そんなことが果たしてボクだったらあっただろうか、と思った。きっと、孤独死のような最後なのかもしれない。せめて腐乱して片付ける人から「臭いね」なんて言われたくはないと希望はあったとしても。
大勢の人から看取られて、大勢の人が涙を流す。それが普通の死に方だと思った。やっぱりそれは羨ましいものだった。哀しみよりも。
ボクは焼酎を飲んでいた。痛いとか苦しいとかがなかったとしたら、ふっとこの世からいなくなることは、そんなに悪いことではないように思う。そんなことを感じないで死んでしまうこと、そして大勢の人から死を看取られるということは、幸せなのかもしれないと思った。
涙は流れなかった。羨ましいという気持ちが強くあったからだろうか。神経がイカれているのだろうか。心まで貧しくなったのだろうか。たぶん、どちらもあって、全てがどうでもいいこと、そう処理しているのだろうと思う。もうボク自身が死人のようなものなのだろうと思う。
遺されたご家族の悲しみを考えると心が苦しくなるけれど…。
そう言えばあの頃は、日曜日に飲みに出かけていたね。早い時間から。
じゃあ、また。
アジサイ

6件のコメント

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    じょんさん、お久しぶりです。で、先日はありがとう。
    介護とか看護なんて仕事は、そうならないと本人の身体がもたないかもしれないですね。
    悲しみや苦しみをひとつひとつ感じ取っていたら辛くてできない仕事のようにも思います。
    例えば医師や看護師が患者の痛みに敏感になりすぎたら何も出来なくなるような感じで。
    それが普通かも。
    ま、受け持つ人数ってことにも関係するのでしょうけれど。1人で10人も20人もなんてなると、やっぱり難しくなると思うけれど。

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    こんばんは~^^
    4ヶ月ぶりの二連休一日目です。
    僕も介護の現場で鈍感になっている自分を感じます。
    入居者さんがむせている時、節々の痛みの訴えがあるときなど。。
    きっと苦しいだろうけど、
    そこに気持ちを寄せて
    疲れてしまうのが怖くなったのか・・。
    心の優しさとか悲しさをつかさどる部分に
    フィルターがかかっているみたいです。
    きっと脳が無意識に、
    これ以上の悲しみや、人に優しくすることの苦痛に耐えられないと判断してそうしてくれてるんだろうと、、
    勝手に解釈しています。

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    >元フレームさんへ
    こんにちは。
    そうでしたか。一度そういうことを経験すると、また考え方が違ってくるのでしょうね。
    知人の死がピンと来なくて、少し驚いたのですよ。悲しめないというか。いろいろな感情が無くなってゆくようにも感じています。どうしてかなあ、なんて考えるのですけれど、人と接していないからかなあってことしか浮かばないし。
    痛いとか苦しいとかではなくて、そんなことから自分の死を考えるってのは、まだ大丈夫なのかなあ、なんてことも思っています。
    >御巣鷹
    NHKの番組、見なかったです。教えてもらったのだけれど、ボーっとしていたかなあ。
    死にたいというのではなくて、どうでもいいと思うのと、死んだとしても悲しむ人もいないと思う気持ちが大きいかなあ。
    お父さんは、御巣鷹さんに思い出してもらって幸せなのでしょうね。こんどはお母さんを守らなければならないのでは?と思っていますけれど。
    家族は仲良く暮らさないとダメですね。ボクも父の墓参りぐらいは帰らないととは思うのですが。
    写真一枚ないですから。あるのは形見のコートだけかな。
    命日にお墓まいりするということも、また守るってことなのだと思ったりします。繋がりとかも。

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    僕は自分が死にたいとか思った時は、必ず死んだ父親を思い出します。
    5年前、ちょうど今月の19日に、まだ酒も飲み交わしたこともない僕の前からいなくなった父が、生きると云う意味を考えさせてくれました。
    僕が存在する意味を見い出せない時、あの日の、守るべき者たちへ残した最後の表情を噛み締めたりします。

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    期間工になる前、心肺停止しました
    事業の失敗がココロの負担だったようです
    で、狭窄する視野と薄れていく意識のなかで
    腐乱死体で見つかる自分の事を考えました
    笠山さんとおなじ?です
    臭いとか言われたくないなぁってね
    そして蘇生することを願いました
    期間工を2年、終わって2年
    まだ生きています

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    ちょwwおまwwww
    ネタのつもりがマジ、セックルするだけで6万貰えたぞwww
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