ユニクロブランドというノーブランド力
ユニクロのフリースやポロシャツに「UNIQLO」のロゴは入っていない。もしも入っていたらそれほど売れないと思う。それがユニクロブランドというノーブランド力ということだ。ユニクロがここまで成長した理由は、廉価ということもあるのだけれど、ロゴなし商品を販売したからなのだ。
例えばpatagoniaのフリースにはロゴが入っている。そのロゴが血統書や鑑定書の役割をになっている。ユニクロのフリースとの値段差10倍、多くの消費者は商品の価値が10倍あるとは思っていなくても、そのロゴがあることに対して10倍の金額を支払う、と思う。
ブランドなんてのはそんなもんで、その商品の価値以上の価値、ようするにプレミアが付いているものなのだ。
ユニクロ商品にロゴが入っていたら若者は敬遠したに違いない。安いフリースやポロシャツならホームセンターにも売っている。ところがそれほど売れない。というのも、なんだか分からないロゴが入っているからだ。分かっているロゴ、例えば「DUNLOP」なんてメーカーのものでも、やっぱりそういったロゴはダサいのだ。
ロゴが入っていないことで、「もしかしてブランド商品かも」なんてことを思わせることも出来る。そう思わせなくても「どこのブランドだろう」なんて誤魔化せることが出来る。要するにユニクロと思わせないことが出来るのだ。ユニクロブランドという血統書や鑑定書を付けるということは「廉価商品ですよ」と自慢しているようなもので、そんなことはしたくないのが日本人なのだ。
虚栄心の強い国民性をうまく利用したの販売方法、それがロゴを付けない、ユニクロ戦略なのだろうと思う。
ほとんどの商品にロゴが入っていない。入れると売れないということが分かっているからなのだ。
5月21日付の週間ポストに「ユニクロ・柳井正が説く『全員経営の思想』」なんて記事が出ている。その中で柳井CEOの「トヨタの蹉跌は『トヨタ』を売らなかったこと」という論説が載っている。
「…いつからかトヨタは企業名ではなく、レクサスやプリウスという細分化されたブランドを前面に打ち出して販売するようになった。一つ一つの車は非情に優れていますが、そこに企業が持つアイデンティティを明確に打ち出せていないように見える。そうなると結局、他のメーカーと同質化してしまう。」
という記述がある。
確かにユニクロにはレクサスやプリウスという再分化されたブランドがなかった。というよりも企業名もなかった。ブランドを前面に打ち出すことなく成長した企業だった。同質化こそユニクロのキモだったのだ。「もしかしたらpatagoniaかも」とか「もしかしたらラコステかも」なんてところから始まった。
もし柳井CEOが自社のアイデンティティを明確に打ち出していると言うのなら、全ての商品にユニクロのロゴを付けるべきなのだ。
でもそうすると売れなくなる。ユニクロのブランド力とはノーブランドを売っているというショップ力ということにあるのだから。あるいは廉価な似たような商品を売っている力ということもある。例えばヒートテックなんてのも、既に10年も前からアウトドアウェアを開発している企業から同じコンセプトの商品が開発されて販売されていたのだし。それを廉価販売することで売れたのだし。それほどオリジナリティがあるということでもないように思うのだけれど。
企業名を売らないで成長した、要するにノーブランド力で勝った企業、それがユニクロだと思う。どうだろう?
丸栄、深夜