春が、来た

タクシーの中でよく唄う。もちろんひとりの時にだけれど。
相変わらず余裕のない毎日。時間はあるのだけれど、何かをしようという気持ちになれないでいる。それは休日とて同じで、何もしないまま一日が暮れてしまう。ゴロリと横になって、テレビ画面を見つめている。番組を見ているのではなくて、なんとなく見ているという感じ。
身体が疲れている、というよりも、精神的に疲れている。筋肉痛とかの痛みではなくて、眼精疲労からくる頭痛とか、睡眠不足からの思考停止とか…。
5月3日、今日もヒマだった。Uターンラッシュが始まったそうなんだけれど、それは高速道路のことで鉄道の混雑は明日からなのだろうと思う。駅待機のタクシーの動きは悪いまま。タクシー運転手も連休を取って休んでいる人が多いのか台数は少ないように感じる。台数が少なくてもお客様も少ないので動きが悪いまま…。
20度を越えた気温、カラリと晴れ上がった天気、やっと春が来た、という感じ。特別春に楽しい想い出があるわけではないのだけれど。
失業したのも春のことだったし、期間工として働き始めたのも春だった。このアパートに住み始めたのも春で、この数年の間、ボクと春の関わり方といったら、まるでツバメのような慌しさで、周りの風景なんてことよりも、時間に脅迫され続ける日々のようだった。ずいぶん涙も流した。
哀しい想い出のほうが多い。失業なんていうのは、仕事を失うだけではなくて、日常をも喪失することなんだ。それに人間関係とか職業的キャリアとかの過去の遺産を失うことなんだ。失業して得るものといったら、ボクの場合はほとんどなかった。
ほとんどなかったのだけれど、それから少しだけ出逢いがあって、それが今のボクを支えてくれている。全てを失ったのだけれど、ひとつふたつ見つけたものもあった。

「春よ、来い」作詞:松任谷由実
淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める

希望というような華やかなものではないのだけれど、「生きる理由」を見つけることは、そんなに難しくないようにも思う。「とりあえず今度の休みまで」なんて感じでもいいかもしれないと思ったりもする。

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

最近はこの曲「春よ、来い」を車の中で唄っている。もちろんひとりの時なんだけれど。もう少し余裕が出来たら、ゆっくり散歩して「いとし面影の沈丁花」なんて風景を探してみたいと思う。
明日は忙しいかなあ…。
新栄、スーパーテニスあたり
新栄、スーパーテニスあたり、かな?

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