やたらの日

身にしみて大根からし秋の風
芭蕉の句。大根を食べたくなって近くのスーパーに行く。休みの日はスーパーで買い物をするのが楽しみだったりする。楽しみというほどたっぷりと時間もお金も消費するわけではないのだけれど、野菜のにおいとか惣菜のにおい、甘いパンのにおいなんかの中にいるのは好きだし、そういった食べ物を眺めるのは、たぶん、動物園で動物を見るよりはボクにとっては心落ち着く時間なのだ。
そうそう、大根を食べたくなったのだけれど、一本200円なんて値段だったものであきらめた。ひとり暮らしなので、その1本あれば2回とか3回分のおかずになるのだろうけれど、それにコンビニのおでんの大根の値段と比較すると安いと思ったりするのだけれど、あきらめた。
もやし、チンゲン菜、かいわれ大根、にんじん、玉ねぎ、カボチャ、あと牛蒡とか…。こうして書いてみるとほとんど同じものを食べているなあ。あと冷凍のさといもとか枝豆やグリーンピースとか…。あ、そうそうキャベツも常備品かな。
大根を買わなかったかわりに、干し大根を水にもどした。これは明日サツマイモと一緒に煮る予定。結局夕食はうどんにした。コンビニの弁当は食べない。缶コーヒーも飲まなくなった。年齢とともに味覚も淡白になったように感じる。肉を食べたくなる、ということもなく、牛肉は基本的に買わない。草食系おじさん、になってしまった…。
タイトル、「やたらの日」というなにか特別の日があるかと思っていた。公園の看板に「やたらの日には」と注意書きがあって、そう思っていた。

「やたら(矢鱈)」
[形動][文][ナリ]根拠・節度がないさま。筋が通らないさま。めちゃくちゃ。むやみ。「―に買い込む」「―な事を言うもんじゃない」
[副]に同じ。「―(と)のどが乾く」「―(と)偉そうなことばかり言う」

の「やたら」なのだ。
でも、それでも、「やたらの日」というのはおかしい。「やたらにゴミを捨てるな」「決められた日に決められた物を捨てよう」のほうが良いんじゃないかと、いつも思うのだけれど、現在は花田二番町になって今はなくなってしまった「稲葉町」時代の看板、その歴史を考えると、なにか遺跡とか文化遺産のようにも思えて、それはそれでその地域の人たちのアイデンティティーだったり意地だったりするのだろうね。
なんて考えながら休日の夜もふけてゆくのだよ。
稲葉町の看板

2件のコメント

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    今日は、良い夫婦の日ですね。その前、11月11日がポッキーの日だったけれど。来年は2011年11月11日で、ポッキーの大イベントがあるとみた…。

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    いたずらの日
    なんてのはいかがでしょう?笑

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