日の丸、君が代

海外に住んでいると(行くと)常に祖国ということが付きまとう。付きまとうというか、結局自分を守ってくれるのはその祖国なのだと否が応でも考えるようになる。アイデンティティ、要するに日本人であるということが自分を救ってくれるということだ。そしてその証明とはパスポートであり国歌国旗である。
在外邦人の中には現地の人から「Korea」とか「China」とか言われることを非常に嫌がる人がいる。ボクもそうだったのだけれど、それは民族差別なんてことではなくて、日本人であるという自負と日本人であるという安心感なんてもの、それに保障ということなんだろうと思っていた。「オレは日本人だぜ、下手なことをすると国が黙っていないぞ」なんてことを心のどこかで考えていたのだろう。韓国や中国が「黙っている」ということではないのだが、祖国を信頼していたのだろうと思う。
彼らにとって日本とはなにかというとやはり日の丸である。けっしてトヨタでもニコンでもソニーでもなくて、やっぱり日の丸である。ということもあって、ボクは国旗をバッグにつけていたこともあったし、常に持っていたこともあった。それは戦場の赤十字旗のような役割をするだろうと思っていた。
確かに何度か銃口を突きつけられて、そして軍隊に拘束されたのだけれど、その効果(日本人である)ということはてき面だった、と思う。(日本人だったから撃ち殺されずに済んだということの証明は難しいのだけれど)
そして大使館や領事館に掲げてある国旗を見ると安心したし、思わず涙が出ることもあった。身ぐるみ剥がされてボンベイ(今は何と言ったかなあ)の日本領事館に駆け込んだ時にも日の丸を見た時には泣けたし、「ああ、助かった」と拝んでしまったほどだった。そうなると国旗それ自体が神なのかもしれないと思う。日本人=日の丸なのだ。
週刊ポスト4月6日号の曽根綾子さんの「昼寝するお化け」、「不勉強で非常識」というエッセイにはボクらが感じたそういった日の丸のことについて実にうまく書かれている。

国歌と国旗に対して起立することは、もっとも広範囲の国際的儀礼の基本であり、れっきとした常識なのである。

あの頃の社会主義国家なんてところだと国旗を侮辱するような行為をすると逮捕監禁されることもあっただろうし、今だってそういう国や地域もあるだろう。そこまで至らなくても、人間関係はその場で遮断されると思う。

私たちは、その国の専制君主である大統領の批判には怒りを覚えるが、その土地の人々とはできたら和やかに好意を伝え合いたい。喋れない分を、いっしょに歌ったり踊ったりして補いたいと思っている。国旗と国歌に対する起立は、好意の表現の延長線上にあるが、もっとも厳しいものだ。

あの頃、例えばエチオピアのメンギスツ政権が人民を苦しめるものだったとしても、ボクたちは分かり合おうとしたし、それはお互いを尊重し合うということをスタートラインにしなければでき得ることではなかった。メンギスツは嫌いでもエチオピア国旗や国歌に対しては別のものとして捉えていたし、それは国民=国旗・国歌という考えの現れだったのだろうし。

国歌国旗に対して起立しないということは、どこの国でも、その国と国民をばかにしたということになるのだ。

そうなのだ。

途上国のどこにも、字を読めない人はいくらでもいる。当然言語も違うから、国歌と国旗は、お互いに言語的に意思の疎通の難しい人たちとの心を繋ぐ最低の基本的な方途となる。起立することが言語なしで示せる尊敬と好意の表現の風習だということは、全世界で例外なく定着している。それを子供たちに教えなかった非常識教師たちに、そろそろご退場願いたいというだけのことである。

とボクも思うのだ。
国歌が流れ始め、国旗が掲揚され始めたら、脊髄反射的に起立する習慣を身に着けることも、国際人には必要なことであるのだろうし、英語を学ぶ前にそのことを考えることのほうが重要であると思うのだ。国歌国旗アレルギーの子どもたちを量産することはけっしてこの国のためにはならないはずだろうしね。そんなにこの国が嫌いなら公務員なんて辞めればいいのに、なんて思ったりもするのだけれどさ。それとこれとは別問題なのかね?
向山公園の桜2、2012年

4件のコメント

  • blank

    名古屋の短歌好きさん、こんにちは。
    生活自体が命がけということも。まあ、こんな仕事なので、運を転にまかせるしかないのですけれど…。

  • blank

    桜ばないのち一ぱい咲くからに 生命をかけてわが眺めたり    岡本かの子
    桜が咲くとこの歌を思い出します
    最近、命をかけて行動したり、仕事をしたりしたことがまるでないと思います
    人生80年とすれば既に折り返し地点を通過していますが、もう一度何かに命をかけたいと思うこともあります

  • blank

    元フレームさん、こんにちは。
    まあ、百歩譲って、私立学校の教師ならば、まだ許せるのですが、公立学校の教師ってのは…。
    国歌国旗という前にやらなければならないことはたくさんあるだろうに、と思います。

  • blank

    国旗掲揚や国歌に難癖をつけて自己主張する人達は異常者に思えます。国家の内容が国民の意にそぐわないと云う主張もアリかもしれませんが、現代日本の暮らしやすさを棄てて反日国家で生きてゆけるはずないくせに… なんだかムシが良すぎますね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA