祥月

8日は父親の命日だった。
相変わらずボクはここにいて、墓参りさえも行かないでいる親不孝者だ。墓参りに行ったからといって何か奇跡が起きるわけではないのだろうけれど、例えば、たまに訪れる精神の不調の時や、死への憧憬を抱く時には、父親のことを強く思い出してしまい生まれた街への望郷の念にかられ、そうして墓参りを考えることによって、きっと精神が正常へと戻るように感じる。また、ボクが世を捨て悪人になることへの抑止力にもなっているようにも思う。死者の力、なのだろう。
ブログ6周年
10日はこのブログの開設した日で、もう6年。もう6年も毎日のように書き続けている。これも、こうして書くことでボクを正常化してくれる。全てが正しくて、そして全てが本心ではないにしろ、ボクを支えてくれるツールになっていることには違いない。トヨタにいる頃は、書くことによって、というよりも、コメントなんてものにずいぶんと励まされたのも確かだ。
6年というと、小学1年生も中学生になる。高校受験だった人たちも就職活動をする頃になった。当たり前のことなのだけれど、ボクは6歳年をとった。
良い悪いということではなくて、トヨタ自動車、期間従業員というシステムがなければ、ボクはここにいなかったのだろうし、こうしてタクシー会社に勤めることもなかったのだろう。そして出逢いや別れなんてものもなかったのだろう。
多くの期間従業員が、ボクと同じような気持ち、それはなんとも説明しがたい後悔なんてものを微妙に含んだものなのだろうけれど、そんな気持ちを抱いているのだろう。期間従業員としてのその期間がボクたちの人生にプラスになったのかということ。ボクたちにとって、その期間は、失われた時間なのだ。
自動車メーカーや家電メーカーのためにこの国の若者が犠牲になったということ。それはまるで「赤紙」で若者を戦地へ派兵させ見殺しにしたあの戦争のようなもの。エコカー補助金やエコポイントにより特需をつくり、経済と言う戦争のために見殺しにしたようなもの。
そうしてこの国が豊かになったのか、そうしてこの国の製造業が発展したのかというと、結局は負け戦。いよいよ本土決戦となっては、逃亡の大本営。国を捨て亡命しようとする企業たち。
ある意味では大正解。この国の若者の精気を抜いたのだから。デモをやる気力もテロを起こす勇気もない若者たちのそのやるせない気持ちの捌け口は、パチンコ屋でありネットの中。正社員も結婚もあきらめて、あとは月6万円ほどの年金でどうやって暮らすかということを思案する毎日。
……。
トヨタの正体がバレて、期間従業員なんてのが使い捨ての道具だと分かっていても、なおもやってくる若者たち。考える力もなくした若者は家畜人「キカーン」となって奴隷のように使い捨てられるのだろうか。
……。

2件のコメント

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    いいことかあ…。どうなんだろうね。そんなにあるとは思えないけれど。それよりは嫌なことのほうが多いはずだろうし。いいことありそうですか?

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     使い捨て………嫌な言葉ですね。やるせないです。生きてていい事あるのかな……

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