貧困指数

ワーキングプア、いわゆる働く貧困層の定義を「年収200万円」と思っている人も多くて(ボクもそのうちのひとりなのだけれど)、そのコトバが流行した当時の「東京23区の生活保護水準が年間支出194万6040円」という数字を根拠としている。要するに生活保護=貧困なのだ。
年収200万円となると、アルバイト・パートで生計を立てている人や身近なところでは半数近くのタクシー運転手がこの国の貧困層ということになる。もちろんボクもめでたく貧困層の仲間入りだ。
2009年では1100万人、労働者全体の24.5%を占めているという調査結果もあり(国税庁『民間給与実態統計調査』)そうなると、労働者の四分の一は貧困層というのが世界有数の経済大国日本のすがたなのだ。
ところがその貧困窟の住人というレッテルを貼られているボクが、その貧困にあえいでいて買うものも買えずに食べるものも食べられないような状態にあるかというと、前回も書いたようにけっしてそうではなくて「もう少し低賃金でも良いのになあ」なんて言っている。そうして今の生活をかなり満喫している。
もちろん貧困をエンジョイするための知恵、抑制、諦念、技術…なんてものも必要となるのだけれど、それでも特に問題にはならないし、例えばスーパーマーケットなんかであなたがボクを見たとしても「オヤジのくせにかっこいいよね」なんて思うに決まっている。だってユニクロなんてチャチな洋服なんざ着ないし、キチンと頭から爪先まで手入れしているし…。
そしてそのユニクロなんて量販店にたむろする富裕層を見学に行って「もう少しキチンとしたフリースを買えよ」なんてpatagoniaを着てうろつくなんてプアなことをしている。そうなると見た目どちらがプアなのかリッチなのか分からない。
ボクのような貧困層もいるのだからまったく幸せな国がこの日本なのだ。
その幸せな国の厚生労働省が貧困を測る新たな指標を定めることになったらしい。要するに大雑把に「200万円以下」なんてことや「相対的貧困率」なんてものでの物差しを止めるらしい。となるともう少し水準が下がるのかもしれない。例えば「年収150万円以下」なんてことになって、それに伴って生活保護支給額も低減されたりする可能性だってある。政府の「見直し」なんてのは国民に有利に働くことはほとんどないと思った方がいい。この財政難だし。

貧困を把握する代表的な物差しには、経済協力開発機構(OECD)の調査などで使われる 「相対的貧困率」がある。2010年調査(09年時点)で日本の「相対的貧困率」は 16・0%で、おおよそ6人に1人が貧困とされた。07年調査より約0・3ポイント悪化し、 過去最悪。OECDによる00年代後半の調査の国際比較では、日本は 加盟34か国中下から6番目だった。
ただしこの指標の算定基準は収入だけで、資産や医療や介護のサービス受益などは考慮されない。貯金や持ち家があっても所得がなければ「貧困」と判断されてしまうこともあり、「実態を見るには不適当」との指摘が上っていた。また国際的にも別の指標を加える動きが広がっており、欧州連合(EU)では、貧困の継続状況や、寿命など14項目からなる指標を独自に導入。イギリスも複数の指標を取り入れた。
こうした動向も踏まえて厚労省では専門家による検討会を発足させ、来年度中に 成案をまとめることにした。新しい指標には失業率や医療をどのくらい受けているかなどの 項目に加え、「食事に困っていないか」「携帯電話などの必需品が買えるか」など、生活に密着した項目を入れることも検討する。指標は、生活保護の基準や年金制度の見直しなどの政策立案に役立てていくという。
YOMIURI ONLINEのページが消えていたので2ちゃんねるから引用しました

「生活に密着した項目」を入れられると、ボクなんてのは貧困層から抜け出せそうである。たぶんかなりの人たちが貧困層から抜け出して、この国は経済大国なりの豊かな国としての体面を保てそうである。そして生活保護の基準や年金の見直しというところで国の都合のいいように改革されるのだろう。
どうせなら発展途上国の貧困を測る「貧困指数」なんてものを用いれば良い。曽野綾子先生も「昼寝するお化け」にアフリカならば「あなたは雨に濡れないで寝ていますか」なんてアンケートになるというようなことを書かれていたけれど、この国にも人間貧困指数を用いればいい。
(4)就学平均年数 25歳以上の就学平均年数
(5)安全な水が1km以内で得られない人口割合
(6)5歳未満の低体重児の割合
(7)満1歳未満の死亡率
(8)満5歳未満の死亡率
(9)栄養不良の人口割合
(10)トイレ(があるかどうか)
(12)医師などが補助した出産
(13)出産時の母の年齢15~19歳
(14)避妊の普及率
(15)はしかワクチン接種率
(16)結核罹患率
統計局ホームページ/世界の統計 第11章 国際開発援助
なんてものだとしたら、この国のホームレスの人たちだって貧困層ではなくなるかもしれない。だってこのどれをもクリアする可能性だってあるわけだし。
貧困層と言われ人たちを保護、救済し、最終的になくすことを目的として「新たな指数」を定めるのだとしたら、基準を下げようなことをすることはない。大雑把に「年収200万円以下」なんて基準でいい。下げることによってかえって救済されない人が増加する。
人類的にみれば、ほとんどの日本人は裕福である。だけれど貧困問題が存在するというのは、それはやっぱり政策の失敗であり、社会の問題であり、企業の問題である。同じ仕事をして同じ職場で収入格差が生まれる。同じ仕事をしているのに、一方は富裕層で一方は貧困層である、そういった図式が何の問題もなく存在するこの国の仕組みこそが貧困層を増加させているということをまだ分かっていない人がいる。
そうしてこの国に対して見切りをつけて、消費活動や生産活動を脱した人たちが増えるということのほうがこの国には重大事なのだ。
「レクサスを買うことができますか」なんてことを質問する方がこの国のためには良いはずなのだ。そしてそこを基準として国を変えてゆく、なんてことを考えるほうが国益につながるのだ。
さてと寝るか。
タンザニアのタクシードライバー
タンザニアのタクシードライバー。
「昼食は」という質問に「まだだ」と答えると、ドライバー氏の自宅に招待されご馳走になった。もちろん無料。無料なんだけれど、次の日も彼を指名した。日本人の性格を熟知しているのだろうね。ボクから見れば貧しい人たちでも、彼らには貧しいという意識がなく、それどころかかなり豊だ。あくまでも基準は彼らだ。

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