県民の森~鳳来寺

ボクたちは仲の良い姉弟だった。
「だった」というよりも、きっと今もそうなんだろうと思う。
子は鎹、なんて人は言うけれど、親も鎹で、子どもなんてのは親によって繋がれていたりする。ボクたち兄弟もそうだった。父親が生きている間は、なんとなく父親と言う鎹によって繋がれていた。
きっともうボクたち父親の子どもたちが揃って会うなんてことはないと思う。ボクを除いた3人は会うことがあったとしても、ボクだけはなにがあってもみんなと会うなんてことはないと思う。
ボクと兄のちょっとした行き違いからこうなった。それは「生き方の違い」なんて本当はつまらなく、そしてもっともらしい理由で、言葉を替えれば意地とか自我とか我がままなんて、人が聞けば「それぐらいのこと」でボクたちは永遠に会うことのない兄弟になってしまったのだ。
もう少しまともな、例えば遺産相続なんて世俗的な問題だと他人にも分かりやすいのだろうけれど、「生き方」なんて振幅のある理由なもんだから、きっと誰も、そしてボクも、本当のところが分からないでいる。きっとボクのこういう性格が原因なのだろうと思う。
人間関係を疎ましく思い、テントの中で暮らすことに憧れたりする、ボクの持って生まれたものが簡単に兄弟や親との縁なんてものまでも切ってしまえたのだろうと思う。
……。
山を彷徨しながらそんなことを考えていた。5時間ほど歩き続けて鳳来寺山にたどり着いた時には、あの朽ちかけた休憩所に泊まろうかと考えていた。そして雪の舞う山の中の地べたに座り込んだ。
……。
ボクが小学校を卒業した年の4月に、姉と岡城址に行ったことがあった。山道をボクたちは歩いて登った。帰り道、ボクは随分疲れていて、今日と同じように地べたに座り込んだことがあった。そして「もう歩けない」と姉に言った。
歩けないと言ったところで、どうなるわけではなかったし、まさかおんぶしてもらおうなんてことも考えていたわけではなかったのだけれど、その時ボクはあの山道に座り込んだ。半べそかいていた。
姉はずいぶん困っていた。それでも怒ったり、そしてさらに感情にまかせて手を挙げたりすることのない人だったから、その困惑をどう処理すればいいのか分からずに、さらに困ってしまっていた。泣きたいのは姉のほうだったに違いないし、きっと泣いていたのかもしれない。
30分ほどして、ボクは立ち上がり歩き始めた。きっと姉が「文房具屋でブックカバーを買ってあげるから」なんて言ったのだろうと思う。そのあとボクたちは麓にある街の文房具屋さんに行ってブックカバーを買ったのだ。そのブックカバーをずいぶんと長い間使っていたことを憶えている。
……。
ボクはそんなことを想いだしながら立ち上がった。
山を歩くといつもあの時のことを想い出す。もうずいぶんと他のことは忘れてしまったのだけれど、あの時のことはかなり鮮明に憶えている。
あの時は、当たり前のなのだけれど、こんなに深く胸の中に残るなんてことは思っていなかった。そりゃそうで、そんなことを選別して行動しているなんて人はいない。
……。
想い出話になって、うまく結べないのだけれど、たとえひとりで生きていたとしても、想い出なんてもので誰かと繋がっているのだろうなあ、なんて思う。それがどうしたというわけではないのだけれど…。
県民の森~鳳来寺山~本長篠駅
SONY NV-U37のGPSログで作成
アウトドアナビは思ったより便利で地図要らず…。

1件のコメント

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    「小学校を卒業した年の4月」って、つまり中学1年ですよね?
    中学1年でそのエピソードはちょっとありえないw
    小学1年ならわかるけどw

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