砥鹿神社奥宮へ初詣

砥鹿神社奥宮への参道、本宮山の登山道はいつも人が多い。登山口のウォーキングセンター駐車場は平日でも満車になる時がある。流行りのパワースポットだということで、ごく普通のかっこうをした人たちも登っていたりする。
初詣に行った。登りの混雑を避けて、というよりもあの「こんにちは~」という挨拶を避けて陽向滝不動尊を通るコースから登った。こちらのコースは静かだ。結局天狗岩まで誰ひとり会わなかった。(鹿には逢ったけれど…)
山頂辺りには積雪があり、それに時折雪が舞うという、とても感動的な風景だった。そのパワースポットということなのか、奥宮にある富士山遥拝所にひとりの女性。年の頃なら27、8、暗めの色の洋服を着た、そして化粧も抑えめの質素な顔つきの、普通のかっこうをしたひとが、かなり長い時間、富士山があるであろう方向に祈りを捧げていた。
こういう場合だと病身の親の回復を祈っている、なんてことのほうが良いのだろうけれど(そうかもしれないけれど)、きっと恋の成就、いや、叶わぬ恋の成就なんてことを祈っていたのだろうと、ボクは思った。彼女の雰囲気がそう思わせた。
祈っている彼女の後ろを通り、ボクは山を下り始めた。半分ぐらい下りたところで、後ろを振り返った。人の気配がしたからだ。そしたら、その彼女がボクの後ろにいた。祈りのためだけに、山に入った彼女にすれば、その用が終わったのだからあとは帰るだけで、他のこと、例えば山の風景を楽しんだり奥宮の自販機で100円の缶お汁粉を飲んだりすることは(それがボクの楽しみだったりするのだけれど)、不謹慎なことなのかもしれないし、そういった決意みたいなものが迫力となって気配としてボクを立ち止まらせた。
ボクは彼女のために道をあけた。「パワーガールだなあ」なんて思いながら、その後ろ姿を見ながら歩いていたのだけれど、どんどん彼女との差は開くばかりで、結局見えないほど開いて、気配さへも感じられないほど距離が開いてしまった。
ふとボクは考えた。あれは上りに逢った鹿だったんじゃないかと…。きっと何か良いことの前触れで、あるいは、神様の使者だったのではないのだろうか…。そしてボクに何かパワーを与えてくれたのではないのだろうか。
そう思うと、今年はきっと何か良いことがあるかなあ、そんな気持ちになった。でもボクの「良いこと」ってのはなんだろうか…。何か思わぬ大金が手に入って、そして仕事も世も捨てて巡礼するのがボクの夢だとしたら、それが叶うってことなんだろうかなあ。でも、それは本当に良いことなんだろうか…。
砥鹿神社奥宮 初詣

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