タクシー運転手は底辺ですか?
タクシー運転手という職業は底辺ですか?SNS上に流れて、そして炎上している「底辺な職業ランキング」を見ながら考えている。
「底辺職業」の多くはエッセンシャルワークで、底辺というよりも基盤職業とか基礎職業、あ、いや、文字通りエッセンシャルな職業で、社会の縁の下の力持ちなのだと、多くの人が考えたとしても、そう言われることに対して、あるいは、そう思う自分に対して「モヤっている」のだろう…。
タクシー運転手はランクインしていなかったのだけれど、界隈でざわついているのは、ボクたち自身がなんとなく「上じゃないよなあ」なんて感じているからだと思う。
それに、同じ会社の中でも極端な賃金格差があって、「稼ぐ人」はその賃金をもって職業の優劣を説くのだから、さらにモヤってしまっている・・・。
就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列…運営会社は削除し「事実関係を確認する」(J-CASTニュース) – Yahoo!ニュース
底辺ですか?
底辺の基準が曖昧なまま、底辺について議論はできないので、タクシー運転手が「底辺である」とも「底辺でない」とも言えない。
長時間労働と低賃金
底辺ではないにしろ、まっとうな職業でもない、と思う。
次の図のように一般の労働者より長時間で低賃金だ。
タクシー運転者(男)と全産業男性労働者の年間給与の推移( 全国ハイヤー・タクシー連合会の資料より転載)
令和元年年齢階級別月間給与の比較(全国ハイヤー・タクシー連合会の資料より転載)
タクシー運転手の特徴
タクシー運転手について思いつくものを書き出してみた。
- 密室での接客
- 自動車を運転する
- 運転しながらの接客
- 長時間労働
- 深夜勤務がある
- 不規則な労働時間
- 低賃金
- 歩合給
- 危険
- 不当な運転手負担がある
- 運転手に裁量権決定権がない(利用者、行先、経路、道路状況など)
そのなかでも、
密室で運転しながら接客での歩合給制賃金
なんてことになるのだろうか?
困難な仕事
ああ、確かにとても難しい仕事ってことにはなるなあ…。
それに行先や経路は利用者が来て初めて決まるので、準備ができない。いきなり見知らぬ町への要望もある。すき家でピザを頼まれるようなもんだ…。
では、まっとうな職業とはなんだろうか?
ディーセント・ワーク
ILO(国際労働機関)が「働きがいのある人間らしい仕事」をディーセント・ワーク(Decent Work)と定義している。その概念とは、
- 権利が保障されている
- 十分な収入である
- 適切な社会的保護が与えられている
- 生産的な仕事である
- 十分な仕事がある
「働きがいがある人間らしい仕事」とは、まず仕事があることが基本ですが、その仕事は、権利、社会保障、社会対話が確保されていて、自由と平等が保障され、働く人々の生活が安定する、すなわち、人間としての尊厳を保てる生産的な仕事」と言い換えている。
タクシードライバーは?
では、私たちのタクシー運転手は、「働きがいのある人間らしい仕事」だろうか?
1.権利が保障されているか?
保障されている。
2.十分な収入であるか?
どちらでもない、のではないのだろうか?
というのも、歩合給なので、本人の意思とは別のものに影響を受けやすく、例えば、免許取消にでもなれば、職を失いかねない。
3.適切な社会的保護があたえられているか?
その前に、社会的保護とはなにか
「社会的保護には、子供・家庭、母性、失業、業務災害、疾病、老齢、障害、遺族等に対する給付、そして医療保障がある」(ILO)
社会保険を収め、その保護下にあります、よね?
4.生産的な仕事か?
移動という人の権利に関する仕事ですので生産的です、よね?
5.十分な仕事があるか?
これは、流動的・・・
やはり歩合給の問題になる
2と5について疑問を抱いている。
それは2で記述したように「歩合給」ということに収束される。5についても、十分な仕事があるかないかは、曜日や天候、景気に影響される。
また、十分な仕事が十分な収入にならないのが、距離時間制によるメーター運賃、その運賃収入による歩合給の宿命だ。
そして成果主義
歩合給制は成果主義だ。
運賃の多寡がそのまま収入の多寡になる。
営業収入は、客単価×客数で求めらる。これは言い換えれば
距離×時間ということになる。
ようするに、実車時間(実車率)が長ければ長いほど運賃は上がる。そして収入も多くなる。これが、長時間労働になりやすい原因。そして、だから距離と時間に規制をかけるのだ。
地方の公共交通の衰退
累進歩合給の弊害が問題視され、現在では廃止するものとされている。
しかし、累進歩合給や一律歩合給などの歩合給の中身の問題ではなく、歩合給そのものが長時間労働誘発している。
また、サービスの質を落とすのも歩合給だからだ。乗車拒否の多くは歩合給という賃金制度が誘因になっている。
需要差が収入差になるので、地方と都市部の収入格差が顕著になるのも歩合給だからだ。タクシー運転手の収入格差は、地方を捨て都市に流入する運転手を増加させる。そして地方の公共交通を衰退させる。
弱肉強食の世界
成果主義は強いものは豊になるかもしれませんが、弱者は打ちのめされる。
世の中は、同一労働同一賃金でまっとうな職場を作ろうとしている、はずだ。ところが、タクシー業界は同一地区同一運賃でありながら、利用者の運賃差で労働者の賃金差が発生する、発生させている。
これまで書いてきた成果主義、弱肉強食の世界は、あたりまえのようで、そして性悪説的にそうしなけらばならないにしろ、タクシー業界をまっとうではない職業にしている原因でもある。つまり、タクシー運転手を底辺化している。
底辺の人もいる
このように、成果主義、歩合給が最低賃金程度の収入にさせる。要するに「十分な収入」がない人を作り出している。そして、歩合給が明日をも知れぬワーキングプアを作り出している。
いえ、いきなり歩合給をやめろとは言わない。基本給を年収300万円程度にして、そこから歩合給をかけてくれ、と考えている。
そうなんだよなあ・・・
結局、「もうかる」という歩合給制こそが底辺の正体なのだ。そして、事故や免停にでもなれば、一気に職を失う。歩合給での賃金は、どれだけ儲けたとしても、いつも底が見える制度なのだ。
コロナ禍で「アパート代も払えない」というタクシー運転手がニュースに出ていたが、事故や免停だけではなくて、このようなコロナ禍のような急激な需要の減少でも、底が見えてしまうのも、歩合給だからだ。
タクシー運転手は底辺、というよりも、歩合給制での賃金が、底辺を作り出している、そう考えている。