壁を見ていました。

海の日、そして連休最後の日は雨でした。朝方は晴れ間も見えて、そのまま晴れたらどこかへ行こうかと思っていましたが、予報どおりの雨で、そのまま寝たり起きたりの一日でした。
寮の壁は厚いほうと薄いほうがあって、ドアが近いほうの部屋に対しての壁は薄くなっています。要するに1号室と2号室の間の壁が薄くて、2号室と3号室の間の壁は厚く、3号室と4号室の間は薄いというような造りになっています。


田原寮にある傷

その薄い方の壁にだけ、少し丸みを帯びた傷が数か所あって、それが何の傷か、そしてどうして出来たのか考えていました。

傷の丸みを考えるとジュースの缶ほどの大きさですから、きっとジュースの缶を投げつけたものだと思います。また、薄いほうの壁にしかその傷がないということは、ここに以前住んでいた期間従業員か社員の人が、故意にそこを目がけたのだろうと思います。

そう結論付けるのは難しいことでもなくて、そういう想像をするほうが普通なのだろうと思っています。

この壁が造られてから数十年、その間に住んだ人も数十人。いろいろなドラマがあったのでしょうね。この傷たちも、住人がきっと隣の騒音にたまりかねて缶を投げつけて出来たものなのでしょうね。「うるせ~」なんて言葉なしで。まして、「静かにしてくれませんか」なんて注意もしなくて、いきなりだったのではないかと思っています。

それでも、缶を投げつけることは何の解決にもならなくて、投げた人も投げられた人も少し後悔したのでしょうが、また同じようなことが繰り返されたのでしょう。

騒音というのは、聴覚によってかなり個人差があると思いますので、ボクにとってうるさいと感じる音も、他の人にとってはなんでもない音だったりする場合があると思います。音の大きさもそうですが、音の種類や周波数なんてのもそうだと思います。また、その日の気分なんかにも、もちろん関係するのでしょうから、かなり厄介なものだということは確かです。

この国は襖や障子の文化ですから、隣人の音に対してはかなり寛容な国民性を持っているのかもしれないですね。「隣は何をする人ぞ」なんてのは、音がしないことへの不安を言っているのですからね。

長屋文化というものがありますが、これはきっと騒音文化でもあったのかもしれません。しかし、それでもその当時の騒音は人の声だけだったでしょうから、それほど耳障りでもなかったと思います。逆に、隣の人のことを壁越しに知ることが出来たということが、長屋文化の良い点でもあったかもしれません。

ある日、ボクの身体が動かなるような事態に陥ったら、薄いほうの壁を思いっきり叩いて助けを求めるかもしれません。もしかしたら、この傷たちも、助けを求めるために出来た傷かもしれないですね。

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