春愁
いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!
オマル・ハイヤーム ’Umar Khaiyam 小川亮作訳 ルバイヤート RUBA’IYAT
休日は、何をすることなく一日中ぼんやりと過ごすことが多い。昨日の夕方からテレビと電灯を点けっ放しで朝になった。ボクは布団に入ることなく床にゴロンと転がっていた。時折、目がさめてそのこと(テレビと電灯を点けっ放しのこと)を気にしたのだけれど、意識がすぐに遠のいてまた眠ってしまう、そんなことを繰返した。
朝、お風呂にゆっくり入った。40分ほど。そしてモヤシ丼を作って食べた。モヤシとタマネギ、ニラなんてのを蒸焼きして卵でとじたものをご飯の上に載せただけのものだけれど…。
その後に洗濯をして、市県民税の件で市役所に行った。昨年度分を滞納していて、その「特別催告」というのが届いていた。一括で支払われないというほどの額ではなかったのだけれど、分納にしてもらうようにお願いに行ったのだ。
というか、そのまま放置しておくと、まさか消費者金融の取立てのように怖いお兄さんが来て、なんてことはないとしても、この頃は税金の取立ても厳しくなっているらしいので、いきなり差押さえななんてことになるのも嫌だったし、なによりも延滞金がかさむのがもったいないので(思っていたよりも高額な延滞金が付いていたし)、面倒くさかったのだけれど行った、ということなのだ。
市役所納税課の係りの人はとても親切にボクの希望を受け入れてくれて、そうしてあっという間に分納する振込用紙まで作成してくれた。Tさんというもう定年間近だろう(あるいは定年後に嘱託職員として勤務しているのかもしれないけれど)人だったのだけれど、その人と話しているとなぜだか「ああ、頑張って払わなければなあ」なんて思ってしまった。
「失業期間が長かったのですね。今年度の納税分は少ないはずですから大丈夫ですよ」なんて言葉を聞くと、「そうだなあ、きっと大丈夫」なんて思ってしまった。
失業というのは職業を失うだけではなくて、いろいろなことを失ってしまう。それまでの人間関係なんてものも一気に瓦解する。社会人になってからの人間関係なんてほとんど職業にくっ付いているものばかりだからだ。
中には家族を失う人もいるだろうし、家や財産なんてものを失う人も多いのだろう。そして人としての尊厳をも徐々に喪失してゆく。頭を下げることが多くなる。 実ったから頭を垂れるのではなくて、腐ってしまって垂れる場合もある。
自信というものが無くなってゆく。「もうダメだ」なんて思い始める。ハローワークに行くのが面倒になり、そうして怖くなる。失業ウツが始まる。そうなると引きこもるようになる。社会との繋がりがいよいよなくなってゆく。
去年の春、ボクはそんな失業ウツの状態だった。ホームレスになることを考えたこともあった。というか、それが一番良いようにも思えていた。
今年の春は、「大丈夫」なんて状態でもないのだけれど、なんとか少しタクシードライバーとしての生活も慣れてきて、「大丈夫かなあ」なんて感じのようでもある。それでも憂鬱な日々には違いない。知らない道のほうが多いし、いろいろなお客様が乗ってこられる。中には「そんなことも知らないのか」とか「高いねえ」なんておっしゃられるお客様もいる。
確かに知らないボクが悪いのだけれど、その知らないということが解決されるほど道路は少ないわけではない。道も場所も1年ぐらいでマスターできるものでもないように思う。毎回毎回緊張の連続なのだ。道を間違わないようにと思うだけで接客なんて出来てないほうが多い。「簡単な場所であってくれ」と祈る時が多い。辞めたいといつも思う…。
憂鬱なのだ。
失業ウツの次は職業ウツが始まる。いったいいつになったら「大丈夫」と思える日が来るのだろうかと思っている。たぶん来ることはないかもしれない。毎回毎回お客様が変わり道が変わる。そのお客様によって、あるいは時間によって通る道が違ったりもする。正解がないのだから…。
5月だからなのだろうか。それとも雨のせいだろうか、気持ちは落ちるばかりで、また夜が来て床をゴロゴロ転がりながら雨が降りそうな外を見ているのだ。
いわしの丸干し食べたよ