無職という選択

思うのだけれど、働くということは確かに納税という義務を遂行するために重要なことだろうと思うのだけれど、人生においてはそれほど重要ではないのではないだろうか…。
人生=労働なのだろうか?
収入=労働なだけであって、その収入を得るための方法なんてのは千差万別、クルマを造ることもそのひとつだし、ギャンブル稼ぐのだってそうだろうし、芸術活動や宗教なんてのも、そのひとつなのだ。

無職のつまらないものですが。
じゅんじゅん | 2012/01/10 01:09

別に無職は「つまらない」ものでもないと思う。キチンと生きていて、例えば窃盗とか強姦とか殺人なんて犯罪者でもないのだろうし…。ニートと言われる人たちだって、生きる糧を自らの労働から得ていないというだけで、それもひとつの方法なのだろうし、家族の財産を分配してもらっているということだけなのだから、そんなに「つまらない」ことでもない。
というよりも、働いている人よりもたっぷりと時間があり、人間関係なんていうストレスフリーの生活ができるのだから、それはそれで人間らしい(というか動物らしい)生き方なのかもしれないと思う。
きっと世間体なんてものが無職という自分を「つまらない」ものにしているのだろう。世間体というか世間一般の考え方。常識とか良識なんてもの。
例えば宝くじが当たったら、ボクも隠居すると思う。3億円、それだけあれば十分余生を生きられることができるのだから、その十分の一なんて収入ためにあくせく働くなんてことはしたくない。人生はボランティアではない。自分が一番かわいいに決まっている。あるいは家族がかわいいに決まっている。他人のために納税なんてことは二の次だ。この国の将来なんてそれほど重要ではない。そんなもんだ。
人生設計がキチンとできていれば(要するに生涯に渡っての収入があるかどうか)別に仕事なんてしなくてもいいと思う。それよりは毎日好きなことをして、例えば好きなだけ本を読んだり、山の登ったり、旅に出たり、時間をたっぷりと使った生活をするほうがどれほど幸せなことか。
何かのため、例えば就職のため、とか、知識のため、なんてことで行動するのではなくて、自分の欲望なんてもののために毎日を過ごすなんてことのほうが、ずいぶんと幸せな生き方のように思うのだ。
結婚とか家とか車なんてものを諦めると、随分と楽な生き方も出来る。ボクもそうなのだけれど、安アパートで暮らして毎月国民年金ほどの出費で生きていると、「生きるってけっこう簡単じゃん」なんて思える。
ボクも住むところと食べるものさえあれば、無職でもいいと思っている。いつか書いたように、高いペットを飼うぐらいならオレを飼えば良いのに、なんて思っているぐらいだし…。
無職の時に何をするか、そこで人生はずいぶんと変わると思うのだ。まあ、あまり卑屈にならないことだ。
飛騨高山にて

2件のコメント

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    働かざる者食うべからず

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    >人間らしい生き方
    確かに原始の人間は労働なんて意識はもってなかったけど、自分の食い扶持くらいは田畑耕すなり動物を屠るなりしていたでしょ。
    「無職」ってことは何ら栽培(大麻も含めて)することも、その他食べるものを自足することもしてないってこと。
    誰か他の人(家族や行政)に食べさせてもらっているのであれば、原始の人未満じゃないかって思います。

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