つゆのあとさき

バスで寮に帰ると、玄関には田原工場に配属され新しく赴任した人たちの荷物が、微妙な間隔を保って主の来るのを待っていた。その主たちはその頃は、豊田市を3時半ごろ出たので、東名高速道路上にあって、まだ見ぬ田原の街とトヨタの工場のことや、これから始まる生活のことなんかを、何だ彼んだと考えていた。隣に座った人とは、やはり微妙な間隔を保っていて、それは田原に住んでいる間中埋まることのない間隔であることなど、知る余地もない。よほどのことがない限り、喜びや悲しみといった個人的な感情を共有することなど、期間工として暮らしていく上で必要の無いことであって、その微妙な間隔をいかに保ち続けることが出来るかが、そしてその間隔の中に敢えて自ら進んで暮らせるかが、大切なことだなんんて、知る必要もないのだろう。

その微妙な距離こそが、底の無い孤独というやつで、手の届きそうな距離だからこそ、孤独淋漓として悲しみの心に滴り落ちるのである。

なんて、その荷物を見ながら、ボクは途方もないと思えるほどの5ヶ月前のことを思い出していたのだけれど、それはまだ、とても新鮮な思い出であったことに、愕然として、時の流れを疎ましく思うのである。

何度眠れぬ夜を過せば良いのかなど、考えるて、カーテンを開けると、一瞬の満月。これもまた時という疎ましきものが齎したものではあるのだけれど……。

田原寮から見えた月
田原寮に月(田原寮に着き、とかけてます;)
あ、それと「ラインダンスの快楽(2)」のアーチストは「暑~ちスト」なのです。(と、ま、ひとり突っ込みってやつで)

熊本のリコール隠しの問題は、今日のニュースでも大々的に取り上げられていますね。それでも、職場では話題に上がりませんでした。上の方では忙しく動き回っていると思いますが…。

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