出稼ぎ手帳をながめながら
出稼ぎ手帳「留意点」の一番最初には「なぜ出稼ぎをするのか、家族とよく話し合ってみんなが納得したうえで出稼ぎをするようにしましょう」との記載がある。
今は、出稼ぎや出稼ぎ手帳を知らない人も多いだろう。しかし、出稼ぎというある意味文化とか風土の中で育ったボクには、住む街を離れて短期で働くことは、普通のことだった。
出稼ぎ
父親も出稼ぎをしていた。叔父も従兄も。
「よく話し合」ったところでいつも貧しさがあった。なぜ出稼ぎをするのか、なんてことを良く話し合うことも、考える余裕もなかった。とにかく働く場所がなかった。あったとしてもその賃金は安かった。
出稼ぎ、家を離れ、そしてまた家に戻る。あの頃は戻る場所があって、待っている家族がいた。雇い入れてくれる企業も、今のように「期間工」とか「派遣社員」なんて労働法上の称号で父親たちを呼ぶということはなかった。
ひとりひとりの名前で呼んでいた。そしたまた、家から離れ出稼ぎ先にも戻っていた。それは渡り鳥のように自然な営みだった。人が人を必要としていた時代だった。今のように労働力なんて冷淡なものではなくて。
出稼ぎ手帳
平成17年11月27日発行、二度目に期間工としてトヨタに赴任した時に再発行した出稼ぎ手帳は、もう使われることがなく、ボクは出っ放しになってしまった。
戻ることなく、とうとうこの街に住み着いてしまった。いや、今は出稼ぎという制度が廃れ、みんな出っ放しになってしまっている。ボクたちの事情なんておかまいなしに、ラインは回る。人の温もりを喪ったモノが作られる。そしてボクたちは消費者という称号を与えられ嬉々として消費するためにまた消費する。
つまり、地方格差はいつの時代もありました。しかし、出稼ぎに行けば収入格差はある程度縮小されたのでしょう。そして、出稼ぎに行った人たちが地元の農業や漁業を支えてきました。さらに、地方の次男三男の開業資金にもなっていました。例えば、畑地や船を買って生まれた土地に根を下ろす生活が始まる。自立政策としての出稼ぎ手帳でした。
政策としては優れたものだったように思います。
また家族という生活単位、幸せの創出ということを考えると、父親の留守する期間が6ヶ月というのも、敵う長さだと思います。
戻る場所がある、ということが何よりも大切で、そのままネットカフェ難民やホームレスになる危険性を減少させます。1度帰る、ハローワークに行く、失業給付を受ける、再就職を考える、というプロセスは意識上重要なことなのです。
出稼ぎで来たはずのボクたちは、どうして出っ放しになったのだろうか。地方と都市部の賃金や雇用格差だけなのだろうか。ボクたちを出っ放しにしてしまいながら、地方創生とか地方移住なんてことは賑やかにすすめられる。相変わらず高度成長のために徴兵されるように地方から集められる。過ぎた日の出稼ぎの時代のように、戻るという前提は崩れ、出っ放しにされてしまう。
作るだけ作って、消費するだけ消費したあとに残るものはあるのだろうか。果てしない経済成長のために地方は廃れ、家族は失われ、ボクたちは消費するために勤労し、勤労するために消費する。経済成長のスパイラル。
なんて考えたところで、明日の仕事のために早く眠ろうと思っているんだが・・・。

平成23年度出稼労働者パンフレット – 互いの笑顔が気持ちよい
