国坂峠:万葉の道から宿場町への喧騒、そして静寂へ

国坂峠は、蒲郡市と豊川市の境界に位置する国坂街道の要所です。古くは、幡豆から形原、赤孫、五井、三谷を経て御津へと結ぶ道が「上古東海道」であったと考えられています。

「三河の二見の道」と上古の街道

五井から分かれてこの峠を越える道は、御津の浄宝寺付近で再び本道と合流します。この二股に分かれた道筋こそが、万葉集に詠まれた「三河の二見の道」であるという説があり、古来より重要な交通路であったことがうかがえます。

赤坂宿へ通う「小踊り」の道

江戸時代、国坂街道は東海道の宿場町である国府や御油、赤坂へと向かう人々で賑わいました。千日寺には、地蔵を懐に忍ばせて赤坂宿へ通ったという「女郎買い地蔵」の伝説が残ります。また『音羽町誌』にも「蒲郡から夜な夜な峠を越えて遊びに来る者がいた」と記されています。

道中を歌った「一に国坂、二に灰野、三に笹山踊り山」という唄も残っています。「踊り山」とは現在の御油神社がある山を指し、険しい山道を越えてようやく宿場の灯りが見えた際、若者たちが文字通り「小踊り」して喜んだことが歌の由来と伝えられています。(御油神社は明治までは踊山神社と称していました)

難所の改修とトンネルの開通

この厳しい峠道は、昭和3年(1928年)に第一期改修を迎えました。当時の記録には「工費五千円、敷地寄付にて改修」とあり、地域の人々の協力によって近代的な道へと生まれ変わりました。

現在は国道23号線(名豊道路)のバイパスが整備され、峠の下をトンネルで一気に通り抜けることができるようになっています。

変遷する風景と失われぬ記憶

交通の主役がトンネルへと移ったことで、かつての難所であった国坂峠や、麓の五井・金野の町はかつての喧騒を離れ、静かな時が流れています。峠道にあった灰野村は廃村となり、往時を語る人々も少なくなりました。

道や集落の姿は変わりゆきますが、かつての人々の息づかいや歴史の断片は、今もこの趣深い古道の中に静かに息づいています。

昔の国坂峠の画像:宝飯地方史資料 17 – 国立国会図書館デジタルコレクション
宮路山麓・灰野街道をゆく:「祈りの道」散策ガイド

国坂峠の動画

国坂峠の地図・行き方

千日寺 – 土中入定の達成
仲仙寺奥の院・峠の観音様
国坂の大山桜

参考文献
五井町文化財調査委員会編.2023.『五井の歩き方』.三恵社.
御津町史 本文編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡史談 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
音羽町誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション

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