菅直人さんのお遍路
2011年10月3日
やっぱり結願したかったのかなあ。
「私には、まだ88番札所までお遍路を続けるというお大師様に対する約束も残っている」ということなのだけれど、結局は自己満足、結願という自分の欲求のためなんだろうなあ、なんて思った。
菅直人前首相が「お遍路」を再開 愛媛のニュース
弟子某甲 尽未来際
不殺生 不偸盗 不邪淫
不妄語 不綺語 不悪口
不両舌 不慳貪 不瞋恚
不邪見
まあ、どうなんだろうね、そういう結願したいという欲みたいなものが、ボクを動かしていたことも確かだし、自己実現なんてことがなければ歩きとおすってことも難しいようにも思う。1200キロ…、毎日30キロを歩くなんてことを、今振り返れば、よくできたなあ、なんて…。それもほとんど野宿で…。
そういう経験が何かの役に立つとか、何かの役に立たそうなんてことは思ったこともないのだけれど、それに遍路をして何かが変わったということもなくて…。
ただ、あの頃の日記を読んでいると、気持ちが研ぎ澄まされているようでもあり、それがそのまま言葉になっているかなあ。
もうあんな言葉を表現することも出来ないかなあ。自分で読んでいて、他人が書いた文章のようでもあるし。
そう考えていると、やっぱり遍路には何かがあるんだろうなあ。違う自分に出会えるというか、擬死再生というか…。
それでも現実に戻れば、これまで通りというか…。
う~ん…。うまくおさまらないままに本日はこれまで。さてと寝るか。

ボクは地蔵院前の公園のベンチで南の空を見ていた。陰雲は相変わらず時間をも隠蔽していた。時は流れていた。ボクはそこにいて、そして流れているだろう時に抗っていた。
お遍路 野宿で 検索しています。こないだお遍路 行きました。マナーに 気をつけます。まだ 3か寺です。発心です。(バスツアー 名古屋~で バス片道5時間ぐらいの往復10時間で 大変というか 旅も 修行かなぁ
善根宿 というのも あるのかなぁ
宗教研究会(名前検討中