もう少し楽に働いたほうが良かったのだろうね
Kくんが退職したということを聞いて、なんとなく安心もしたりしている。というもの、あの職場は真面目な人には向いてなくて、どちらかというと良い加減な人(上司)が歓迎されるような風土みたいなものがあるからだ。誰がやっても、結局は問題が起きて辞めてしまう。ということが繰り返されている。
派閥みたいなものもあって、どちらについたとしても、また、つかないにしても、嫌われる。陰口が多く、すぐに「パワハラだ」と、問題化してしまう人も多い。「左遷」の場所が、社員をそんな行動にさせる。例えば、左遷の意趣返しの標的にされたりもするだろうし…。
それに加え、新しい社長にも問題がある。具体的には、人手不足なのに「あんなヤツは辞めてもらう」なんてことを平気で言う。しかし、部下も社員も「あんな社長」となめているので、「あんなヤツ」合戦になる。でもね、キャリアの長い人たちを「あんなヤツ」と言うのは問題…その「あんなヤツ」たちが、力を合わせてコロナ禍を乗り切ってきたのだし。
それに、社長の言う「あんなヤツ」の背後には10人の「あんなヤツ」が組織化されている。だから結局、社長対11人、みたいな対立構造になる。それが営業収入に影響して、減収になっている。それ自体も理解できてない社長、という(最悪な)状況…。
「Kくんが辞めたら、また一人育てなければならないのにね」と思う。「10年ほどの時間が必要なのに」とも。そんなことも分からないのだろうか?
経営、いや、人を使うことになれてない人が上に立つ悲劇みたいなものなんだろう。そう言う意味では、Kくんもかわいそうだったったなあ、と思う。これが、A社長だったら、違う結果になっていただろうに…。わしもだけれど…。
賃金や労働時間を改善すれば、人手不足も改善される、という言説がある。でもね、それは正しくもあり間違ってもいる。結局は、人間関係なんだよね。特に上司や社長に問題があると離職率も高くなる、と思う。
Kくんのことをもう少し理解できる人がいたならば、こんな結果にはなっていなかった。もう少し、コミュニケーションできていたなら、解決できることもあっただろうに…。
そんなことを考えている。そして、それが全てなのになあ、なんて思う。うまく伝えられない、本音で話せない、弱音を言えない、お願いできない……。そんなことが簡単にできるなら、なんてことも思う。
結局、退職という本音と弱音とお願いをしたこと、それは良いことの前触れだと考えれば、いや、考えることができれば良いのかと思う。そんなことも含めて、なんとなく安心していたりする。まあ、自分の気持ちに正直だったってことは、正解だと思う。いや、人生の選択肢においては、間違いなんてのはあまりない、と、わしは思っている。