GODIVAの広告で考えたこと
GODIVAの広告、確かに義理チョコはいらない。
それもいかにも身体に悪そうな糖質たっぷりの安物のチョコなんてのは、シビアに肉体管理しているボクのようなおじさんには迷惑そのもの。
とは言っても義理と人情の国「日本」には「忖度」と同じぐらい「贈与」という文化も深く根付いている。「線香ぐらいは」挨拶のかわり、なんて考える人も多い。「日本は」義理人情の文化なのだ。だからGODIVAなんて海外企業にとやかくいわれる筋合いのものでもない、と考えている。
唐獅子牡丹
チョコレートの日が間近である。 たぶんデパートの売り場は混雑していて義理という空気で窒息しそうになっているに違いない。この国では義理を欠いては窮屈だ。義理は、たぶん、人命の次に重い。健さんも歌っているように義理は重い。男の世界だけではなくて女の世界でも重いのだ。というか、女の世界にそのキーワードを持ち込んだのがチョコレートの日なのだ。OL以前は義理は男の世界だけのものだったのだし、女性が公然と異性に贈り物をするなんてはしたない行為だったのだし…。
とか
義理
義理チョコの日が終わって、職場は普段の空気の中にあるのだろうと思う。中にはこれほど「義理」が疎ましく負担に感じる日もないと思っている人も?お歳暮やお中元、誕生日お祝いや、その他もろもろ・・・、義理は「関係の倫理」の中で、このように道徳や正義や社会的規範なんて強迫観念にかれれる社会的観念なのだろうと思う。
その重圧に負けたのか、その社会観念に反旗を翻したのか、友チョコなんてもまであるらしいのが、それとて義理から派生した亜種なのだ。
とにかく義理の季節、老いも若きも義理が試される日だった。
とやかく言われなくても、ボクのようなおじさんも「日本は」おかしいと思ってきたのである。あるのだけれど、義理人情を欠くと「ムラ八分」なんてことになるのも「日本」というムラ社会の掟なのだし・・・。
「日本は」そういった文化を棄てるべきなのだろうか?
義理チョコだけではなくて、年賀状も暑中見舞いも、お歳暮もお中元も、ついでにお見舞いや、あとおやじギャグに対する義理笑い、そんな義理にまつわる一切合切の付き合いを捨てて、ボクたちはうまくやっていけるのだろうか・・・。
そういった「日本は」という日本人への問いかけをしながら、「そんな安物の義理で良いんですか」「義理という文化を尊重するんなら、もっと大切にしなさい」という、シュシャン社長の「(ブラックサンダーやチロルチョコなんて安物の義理で済ませないで)GODIVAという本物の義理を贈りましょうよ」という提案でもあるのだと、思うんだが・・・。
