JR豊橋駅東口

広小路の韓国料理店で会ったのが何年前だったのか思い出しながら歩いていた。チゲかなんかを食べたのできっとこんな寒い時期だったのだろう。もう4年か5年・・・。

Sくんと久しぶりに会った。なんとなく二人とも忙しかった。待ち合わせ場所は、JR豊橋駅東口。

同じ期間従業員として

ボクたちは同じ時期にトヨタ自動車で期間従業員として田原工場で働いていた。このブログにコメントをしてくれたのがきっかけだった。もう10年ほど前になる。

ボクより二まわりほど若いSくんが自分の進む道を探し当てたことを考えると、期間工や派遣工の3年とか5年なんて時間がいかに無駄かという思いをさらに深くした。

最近は政治家や法律家、学者も、そうして経営者も、労働ということを時間と賃金でしか考えてないない。

人は賃金だけで動くわけではない。そうして仕事がキツイとか楽しいとかは時間とか肉体的負荷だけではない。そういったものをすべて含んだ環境が人を動かす。その中には社会的使命感とか責任、なによりも義理とか人情、そういった人間関係が職場には仕事には大切なのだ。

仕事をする喜び

いや、お金でも時間でもいい、仕事をする喜び、そのものこそがこの日本の労働環境から失われているのだ。生産性とかコストなんてものが最優先される。そして商品化される労働。つまり、ボクたちはボクたち自身の生産性を求めて自らを鞭打ち首を絞めている。そして、そのうち自死を要求されながら社畜化されてゆく。社会全体が、日本が、拡大とか成長ばかりに囚われてしまっている。

ボクもだけれどSくんんも、あのまま自動車ラインでラインダンスを踊らされなくてよかったと思っている。いや、いまもなおライン作業で日本の基幹産業を担っている人たちを侮辱するつもりではなくて、時間や単価等にまつわる生産性の象徴が自動車産業ということで、人には人の生きる道ってのがあって、それは時間とか賃金という道しるべで示されるものではないということだ。

ボクは、きっと、酔ってそんな風なことを言おうかと思ったけれど、結局昔話と今話を話したり聴いたりした。それでも「労働者の会社や顧客をおもいやる気持ちに不当につけこむ経営者」についての話は今もなお耳の奥に残っている。

JR豊橋駅東口で「じゃあ、またね」とボクたちは分かれた。冷たく強い風が広小路の通りに沿って吹いていた。

生きているのは喜びなのか
生きているのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街なぞ歩いていました
春の消息 | 中原中也・全詩アーカイブ for mobile

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