義理

義理の季節である。
義理とはいったいなんであろうかと考えてみた。

「日本の社会に固有な生活規範。義理は一般に社会に既存している道徳や習慣であり,人の踏み行うべき正しい道筋をいう」義理人情(ぎりにんじょう)とは – コトバンク

義理が廃ればこの世は闇さ

なるほど、生活規範らしい。道徳や習慣で、人の踏み行うべき正しい道筋ということらしい。

では義理を欠くと道徳感もなく正義でもなく、人の道を踏み外している、ということになる。要するに、ひとでなし、ということか。

「日本における濃密な人間関係、社会関係を維持存続し、さらには強化するための、日本の社会と文化に根ざした習俗であり、社会規範である」

ともある。

ふむふむ。そうなると、どうもチョコレートは進駐軍ではなくて、人間として関係がある人や、社会的に関係がある人が、社会規範や道徳ということをもって人間関係や社会関係を維持存続するために、同じ部署の上司や同僚、はたまた隣のオジサンや、顔見知りのお兄さん、とりあえず関係のある人に、プレゼントするものかもしれない。

そうしなければ、「あいつは義理を欠くヤツだ」なんて、ひとでなしにされてしまう。

なくなれば良いのに…

チョコの日が終わって、職場は普段の空気の中にあるのだろうと思う。中にはこれほど「義理」が疎ましく負担に感じる日もないと思っている人も?お歳暮やお中元、誕生日お祝いや、その他もろもろ・・・、義理は「関係の倫理」の中で、このように道徳や正義や社会的規範なんて強迫観念にかれれる社会的観念なのだろうと思う。

その重圧に負けたのか、その社会観念に反旗を翻したのか、友チョコなんてもまであるらしいのが、それとて義理から派生した亜種なのだ。

とにかく義理の季節、老いも若きも義理が試される日だった。

「ふ~ん、あなたの義理ってのはそんなもんなんですね」
「そっか、君の義理ってのはこれぐらいか」
「なに、義理もないのか」
なんてもらう側のコトバが聞こえてきたり・・・。

「だって、それぐらいなんですもの」
「面倒くさいし、勘違いされても」
「寝坊したもんで」
なんてあげる側のコトバが聞こえてきたり・・・。

とにかく国家あげての義理の日が終わったようだ。
どちらも気疲れして、今朝は、きっと、ホッとした安らかな空気の職場だったりしたのだろうと思うと、やっぱりチョコレートは進駐軍がこの国の人たちの心に植え付けたカカオかもしれないと、その心のカオスを考えていたりするのだけれど・・・。

2017バレンタインデー 獺祭 ca ca o 義理

ca ca o「小町通りの石畳 獺祭スパークリング」
ありがたき義理人情。お返しは「半返し」というのが、これまた義理人情の国のしきたりだったりする。

唐獅子牡丹

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