赤塚山公園
恋愛、結婚、妊娠、出産、一年とか二年の間に起こる様々な出来事、それは人間のほとんどの感情を伴っているて、それらの出来事の結晶というのが長子だったりするのだろう。産まれてからも、不安や焦りなんてものを毎日抱えながら、子が母親を頼るように、母親も子に頼ってしまう。長子への思い入れというのは、他の子よりも深いはずだ。そして育児放棄や虐待の多くも長子に向けられる。依存関係の崩壊がそれを招く。
赤塚山公園に行った。なんとなく行った。午前中の公園は家族連れ、というよりも、母親と子でにぎわっていた。母親と子どもたちではなくて、母親と子一人なのだ。そのカップルが目立つ。どうして母親と子というカップルが多いのかと考えてみた。
その母子カップルの多くは車で赤塚山公園にやって来ていた。というか、歩いて来るには郊外にありすぎる。近くの千両団地からとしても幼児が歩くには遠すぎる。駐車場の状態からもそのことが推測できる。
理由をまとめると
1・近所を避けるため。
近所のグループになじめない。近所に遊ぶ場所、相手がいない。近所という煩わしい場所を避けたいなど。
2・育児方法を試行錯誤している。
一子目のためどうやって過ごしていいのか分からないままに、とりあえずなんでもある赤塚山に来ている。
3・母親と子ども、ふたりの時間を持ちたいため。
公園という他人はいるのだけれど、人間関係上はほぼ密室と同じなので、そこで親密にできる。路上キッスする人たちを想像すると分かると思うけれど。
4・父親が夜勤で日中寝ているので仕方なく。
お弁当を持って、とにかく夕方まで公園にいる。
5・舅姑がうるさいので、避難。
というか、子育ての邪魔になる。長子ってのは、なにかと理想を追い求めるので、老人たちがしつけの邪魔になる。
なんて考えていたら、3時間ほど過ぎてしまった。ボクはぎょぎょランドのベンチに座っていた。近所の公園だったら、こんなにボンヤリと時間を過ごすことは出来ないんだろうと思った。多くの親子もそんな感じなんだろうと思った。暑い日だったので水で遊んだりしている子どもも多かった。子と遊ぶのは楽しいのかなあ、なんて思った。ボクだと面倒くさいかもなあ、なんて思ったりもした。きっとボクが親だったら、外で遊ぶというよりも、いつものボクのようにゴロゴロと部屋の中で過ごすことが多いんだろうなあ、なんて思うと、車に乗ってまで赤塚山に来るお母さんたちはエライなあ、なんて思った。
子どもを産んで、育てる、ってこと自体スゴイことなんだけれど…。
そんなことを考えながら、ついでに満開の花菖蒲を見て帰ったんだ。はあ~日焼けした。
