寝台列車
2015年8月27日
昔の駅弁は、経木(きょうぎ)の折箱に米粒がこびりついて食べにくかったものだ。今の弁当は、炊飯技術や油の使用によるものか、驚くほどきれいに食べ終えることができる。便利だが、どこか不自然さも感じる。
最後に寝台列車に乗ったのは、もう随分前だ。今の「夜行」の主役はバスだが、そこには旅の情緒など微塵もない。21時や22時に出発し、酒を飲む雰囲気もなく「ただ寝るだけ」の空間は、どこか強迫観念に支配されているようだ。社会全体が「速さ」や「安さ」という合理性を求め続けた結果、ボクたちはゆったりとした旅の時間を、経済的損失として切り捨ててしまったのだろう。
今日、仕事帰りのダイソーで「ブルートレイン富士」の玩具を見つけた。100円ショップという場違いな場所に置かれたそれを、思わず買い求めた。アパートで車輪を転がしていると、ふとあの頃の駅弁や、別れの駅の情景が蘇る。
駅とは、出会いと別れ、希望と挫折、そして生と死が交錯する結界のような場所だ。天の川の下、遠ざかる駅舎の灯り。海の匂いと漁火。ガタンと揺れた瞬間、ボクは自分が地上のどこでもない「汽車の上」にいることを知る。あの夜行列車は、日常と非日常の境界を走っていたのだ。

さといもさん、どうも。
>時間がかかりすぎる
きっと、そのあたりで、旅に対する文化がどうもまだまだ未熟なんだろうなあ、なんて思ったりします。
花見なんてのも同じで、名所に行く間にどれほど綺麗な花が咲いていても見向きもしない、それどころか踏み躙って桜を見る、それがこのごろの日本人のカタチのような。
JRが分割されて連携が取りにくくなってきた
車両の老朽化、だけど新車を作る費用がない
新規新幹線開業による一部区間の経営分離や電圧の変更
定員が少なく昼間の列車としての運用もできない
都市部のラッシュ時に重なるとダイヤを組むのが難しい
かなり長距離の列車だと出発および到着時間が中途半端
といったあたりがよく言われる理由だったりします。
トワイライトエクスプレス・北斗星などは高級路線を前面に出し一定の需要はありましたが老朽化や新幹線開業を理由に姿を消しました。
ゆっくりくつろぎながら移動するのなら長距離フェリーもありますがあまりに時間がかかりすぎるので実際に使うかといえば難しいところではあります。
出発が深夜だったり港へのアクセスといった面も含めて。