御堂山街道と相楽常夜燈
御堂山街道は、蒲郡市の牧山(豊岡町)から国府(こう/現・豊川市国府地区)へ通じていた旧街道です。
そのおおよその経路は、牧山から迫(はさま)、御堂山(みどうやま)、丹野(たんの)、山神(やまがみ)、赤根(あかね)、大草(おおくさ)、広石(ひろいし)を経て国府へと至ります。
『蒲郡市誌』に掲載されている想定図や、西長根古墳の記録から、街道は平田町西長根で国坂街道から分かれていたと考えられます。この場所には「右牧山村、左御油道」と記された道しるべがあったと言われています。これが二つの街道の分岐点であったと推測できます。
そして街道はそこから満土呂(まんとろ)方面へ下り、迫へと北東に進みます。迫からは、とよおか湖の北側を通り、御堂山の山頂を東側から巻くようにして丹野(相楽町)へ抜けていたと見られています。
丹野では、庚申堂跡や相楽常夜燈を通り、山神へ。それから、百々で山を越え、広石に出ていたと推測されます。そして広石からは御津神社前を通り、北上して国府に至りました。
街道の歴史的価値
御堂山街道沿いには、古墳や史跡、古刹が多く残っており、かつてこの街道が非常に栄えていたことを示しています。
特に全福寺は、建久年間(1190年〜1199年)に源頼朝の命で再興された三河七御堂の一つです。かつて12もの僧坊がありました。さらに遡る神亀年間(724年〜726年)には、行基が十一面観音を刻んで堂宇を建立したという伝説も残されています。
奈良・平安時代には、地方行政の中心である国府への道でした。また、東海道へのアクセス道として、多くの役人や僧、旅人がこの道を行き来しました。
道しるべとなった相楽常夜燈
そうした人々の道しるべとなったのが、相楽常夜燈です。灯りの少ない時代に、御堂山を登り下りする人々にどれほどの安心感を与えたことでしょう。
今では、この道を通る人も減り、常夜燈を目印にする人もいません。ただ静かに佇んでいます。そして、賑わいのあった見えない過去を思い出す、歴史の灯火となっています。
おおよそ赤いラインのようなルートになると思います。また、緑が国坂街道、黄色が平坂街道です。
御堂山街道と相楽常夜燈の画像






蒲郡地方の古社寺分布と古道想定図
西長根古墳 文化財総覧WebGIS