丹野城址と御堂山登山ガイド

丹野城址は、御堂山(364メートル)の頂上に位置します。ここには、戦国時代にわずか1年で落城した悲運の山城と、その城主をめぐるミステリアスな伝説が残ります。

全福寺を押領した非道の城主

丹野城址は、文明年間(1469年〜1487年)に萩原左衛門尉芳信が築いたと伝えられています。『蒲郡市誌』には「文明元年、全福寺を押領、丹野山頂に築城」とあり、『蒲郡史談』には「全福寺を占領し、僧侶に甲冑を着せて付近の村々を荒らし、己の領分にした」という記述が残されています。また、蒲郡市の解説板にも「全福寺の資産を取り掠め」「あるところの仏器を融(とか)して兵器となす」と、『宝国山記』を紹介しています。

落城と、城主の最期・子孫

文明2年(1470年)に討伐軍の攻撃を受けて落城した際、城主・萩原左衛門が馬上で自刃した地は「備後塚」として、埋葬された地は「西宮」として今に伝わります。また、子の萩原四郎は逃れて御津町赤根の今泉家にかくまわれ、後に養嗣子となり今泉四郎となったとされます。

信仰としての「みたまより」

四郎は父・萩原左衛門の霊を祀るため萩原神社を建立しました。また、笠を御霊依(みたまより)として祀ったのが瘡守神社と言われています。そのため、はじめは笠守神社でしたが、性病にご利益があり瘡守と転化したと言われています。

丹野城址の現状と山中の遺構

丹野城址は、山頂の東西26メートル、南北58メートルの敷地にありました。現在、砦としての大きな遺構は確認できません。しかし、御堂山山中には観音堂全福寺跡熊野神社跡が残されています。また、御嶽講(おんたけこう)の石仏が数多く点在し、かつての修行場の面影を伝えています。

また、山頂には、萩原左衛門の子孫・今泉氏(御津磯夫氏です)の建てた城跡碑があります。それには「丹野城山めぐらしてわが祖の一代栄えし趾のこりたる」の歌が刻まれています。

(ちなみに、この辺りは、蒲郡市と豊川市の境界線上にあり、豊川市では「非道」的な表現は避けているようです)

黄金のチャボ伝説

さらに、萩原左衛門が落城前に隠したとされる「金色のチャボ」の埋蔵伝説も残されています。「朝日射す、夕陽輝く木の根元」に埋めた黄金のチャボが鳴くというものです。

ドンドン岩 – 「金のチャボ」伝説の地 – 蒲郡の旅

おすすめの登山ルート

見どころの多い丹野城址と御堂山周辺は、さがらの森駐車場から登り、御堂山観音へ下山するルートがおすすめです。御堂山観音へは、観音堂コースと御嶽ルート(地図緑色)があります。また、体力に自信のある方は、砥神山(とがみやま)を加えた縦走ルートにも挑戦できます。

丹野城址と御堂山の画像

蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館

蒲郡史談 – 国立国会図書館

御堂山街道と相楽常夜燈 – 蒲郡の旅

城嶽神社の道しるべ – 奇談が伝わる御嶽信仰への道標


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