全福寺跡 – 礎石が語る歴史

全福寺跡は、蒲郡市相楽町の御堂山山中にある史跡で、蒲郡市指定史跡に登録されています。全福寺の創建は古く、神亀年中(724年〜728年)に高僧・行基が十一面観音を刻み、これを祀ったのが始まりと伝えられています。

宝国山全福寺の歴史(『宝国山記』口語訳) – 蒲郡の旅

頼朝による再興

その後、建久年間(1190年〜1199年)に、源頼朝が三河の守護・安達藤九郎盛長に命じて建立・再興させた三河七御堂の一つに数えられました。

源頼朝との縁は深く、永暦元年(1163年)に頼朝が伊豆へ配流される際、豊川市小坂井で全福寺の観音様の話を聞き、悲願成就を念じたと伝えられています。

建久元年(1192年)、頼朝が赤坂(豊川市)を通りかかった際にこの悲願を思い出し、使者を立てて観音様にお礼を申し上げました。この時、供養田として「三月田」「五月田」を献上したとも伝えられています。

全盛期と十二僧院の広がり

全盛期には、全福寺は天台宗の道場として栄え、十二僧院を擁していました。

そのうちの一つが、現在も御堂山の麓に残る養円寺です。ほかに、多福、真諦、勢徳、観心、般若、慈雲、護持、松本、千手、普門、中之院があったと伝えられます。

丹野城落城と運命を共にした全福寺

しかし、文明2年(1470年)の丹野城落城にともない、全福寺の主要な建物も兵火で焼け落ちたと言われています。

いくつかの僧院は残りましたが、全福寺自体が再建・再興されることはありませんでした。

全福寺の現在の遺構と僧院の場所

現在、さがらの森にある「さつき広場」が全福寺跡とされています。広場には、伽藍の礎石と思われる石が残されており、往時の姿を偲ばせています。

また、十二僧院のうち、現在の場所に残る養円寺を除き、以下のようにその場所が伝えられています。

  • 勢徳寺: 養円寺の北にある庚申堂跡
  • 観心寺: 御堂山観音堂がある場所
  • 松本寺: 相楽町下りの通称「松本」
  • 千住院: 相楽町高田の通称「千頭」

相楽の庚申堂 – 勢徳寺跡 – 蒲郡の旅
丹野城址と御堂山登山ガイド – 蒲郡の旅

参考文献『大塚・相楽ふるさと博物館 資料集』
蒲郡史談 – 国立国会図書館

全福寺跡の画像

全福寺跡の地図・行き方


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