志香須賀の渡しと柏木浜:小坂井町に眠る古代東海道の記憶

志香須賀(しかすが)の渡しとは、かつて東海道の三河国に存在し、多くの都人に詠まれた伝説的な歌枕(名所)です。平安時代の紀行文『更級日記』や『枕草子』にも登場するこの渡しは、現在の豊川下流域を横断する東海道最大の難所の一つでした。

歌枕に刻まれた東海道の難所

律令制のもと、都と地方を結ぶ「駅制」が敷かれると、三河国には鳥捕、山綱、そして小坂井の渡津の三駅が置かれました。役人は駅鈴を手に駅馬を乗り継いで往来しましたが、橋のない豊川(当時は飽海川)越えは常に困難を極めました。

当時の河口は川幅が広く、増水や強風で何日も川辺で足止めされることも珍しくなかったのです。「行けばあり、行かねば苦し」と和歌1に詠まれるほど、旅人を悩ませ、同時にその情景が強く記憶に残る場所となりました。

この渡しの存在は、当時の紀行文からも裏付けられています。10世紀中葉の『遠江道之記』やその後の『更級日記』には、東海道の重要な拠点としてその名が登場します。2

旅人たちは渡津駅から船で対岸の飽海(あくみ)・坂津(さかつ)方面へ渡り、遠江国を目指しました。

志之須香渡古図
参河国名所図絵 上 (愛知郷土資料叢書 ; 第12集) – 国立国会図書館デジタルコレクション

豊川市小坂井町に残る旧跡

渡津駅から祭神ゆかりの「柏木浜」へ

現在、豊川市小坂井町には、この幻の渡しの記憶を今に伝える重要な拠点があります。

志香須賀の渡し

小坂井(渡津)と対岸の豊橋を結ぶ地点です。かつては入江が広がる船渡りの地でしたが、主流を船で越え、砂州を歩いて渡る道筋であったことが研究で明らかになっています。渡津駅は、豊川の流路変化に伴い位置を変えながらも、現在の平井から篠束付近に存在したと推定されています。

柏木浜(かしわぎのはま)

菟足神社(うたりじんじゃ)の祭神・菟上足尼命(うなかみのすくねのみこと)がこの地に赴いた際、最初に上陸して社を設けた場所と伝えられています。

そのため、現在も「風祭り」の初日に行われる浜下神事(はまおりしんじ)では、この地を訪れて寄り輪注連(よりわじめ)を納めるのが習わしです。

かつての渡船場を示す意義深いこの場所には、現在、「柏木濱」の石碑とともにシンボルであるカシワの木が植樹されています。

志香須賀の渡し・柏木浜

志香須賀の渡しと柏木浜の地図・行き方

平井の神明社 – 豊川の旅

参考文献
「しかすがの渡りについての一考察」瓜郷 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
小坂井町誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

『更級日記』には「嵐こそ吹来ざりけり宮路山まだもみぢ葉の散らでのこれる三河と尾張との境なる志かすがのわたり げに思い煩ひぬべくをかし」と記されています。

  1. 新勅宣 ゆけばあり行ねば苦し志かすがの渡りにきてぞ思たゆたふ 中務.
  2. 『遠江道之記(増基法師)』には「なるみのうら→ふたむら山→こふ→しかすがのわたり→みやち山…」。その約60年後の『更級日記』においても「…宮じの山→しかすがのわたり→なるみのうら」という順で登場します。

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