灰野峠と馬頭観音:御油宿へと続く祈りと賑わいの道
灰野峠は、今は通る人も絶え、街道沿いの集落は住む人もいませんが、往古は蒲形(蒲郡)と国府、あるいは東へと結ぶ主要な交通の要所でした。
古代から中世へ:変遷する街道の歴史
かつては、式内社の形原神社や赤日子神社、そして三河七御堂の一つである長泉寺を通り、国坂峠・灰野峠を越えて御油へと抜けるルートが主要道であったと考えられています。
藤原俊成によって蒲形(現在の蒲郡中心部)の開発が進むと、道は徐々に海側へと移行していきました。かつての東海道は五井を経由し、そこから国坂へ向かう道や、三谷・星越を越えて御津から国府へ至る道が中心となっていったのです。
「夜な夜な峠を越えて」:御油宿への憧れ
江戸時代、御油や赤坂が宿場町として栄えると、灰野峠を越える人々はさらに増えていきました。
「一に国坂、二に灰野、三に笹山踊り山」
これは、蒲郡から峠を越えて遊びに来る人々が歌ったものと言われています。「踊山」とは明治までの御油神社の呼び名であり、境内の灯籠が夜道の目印になったと伝えられています。
蒲郡駅から国坂、灰野峠を経て御油神社までは約13キロメートル。決して楽な道のりではありませんが、当時の人々にとって、名高い「留女(とめおんな)」のいる御油宿は、夜通し峠を越えてでも訪れたい魅力あふれる場所だったのでしょう。
街道を守る馬頭観音と、絶えぬ祈り
灰野の街道沿いには、今も金野側、御油側、そして峠の三カ所に馬頭観音が祀られています。これらは愛馬の死を悼んで建立されたと言われます。文政8年(1825年)の銘が残るものもあります。
かつては多くの荷を運ぶ馬や旅人が行き交い、道中の安全を祈願したこの道も、今は静寂に包まれています。しかし、道端の馬頭観音に供えられる花が絶えることはありません。人々の往来がなくなっても、この道を大切に想う心はいまも息づいています。









灰野峠の地図
緑色が国坂峠から灰野峠、御油の道です。
白山神社と宮路寺:灰野の地に眠る歴史と伝説
金野の八柱神社 – 豊川の旅
円蔵寺と竹内浦次:山間の聖地に宿る「向上」の精神
参考文献
『萬葉遺跡「二見道」考』愛知大学綜合郷土研究所紀要 3.
『灰野』蒲郡史談 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
御津町史 本文編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.