ブルーシート・浅尾大輔
浅尾大輔の作品の中に蒲郡市が登場します。
愛知県蒲郡市の、ときを同じく雨が降っているという三河湾の漁港では
派遣社員のヒロシとホセが二人で、雨がそぼ降る江戸川を渡っている「とき」にラジオから流れるニュース。浅尾大輔の『ブルーシート』のワンシーンです。
連帯したくてもできない人々の孤立
それが、大橋を渡るとき−川下の、曇り空とのあわいから別れるように両脇に並ぶ段ボールハウスとブルーシートの群れによく合う
「ブルーシート」が、初めて出てくる場面です。この「あわい」は、「間」を意識的意図的に「淡い」にも通じる「あわい」という表現を使うことで、強固な団結(濃い色)ではないけれど、消えてしまいそうなほど薄く、微かな「共振」が存在していることを示唆しています。
また、完成されたもの(音楽)と「よく合う」というのは、資本主義のもとでの完成された、労働力の商品化、搾取、それは「疎外された労働」その構造そのものなのです。
新しい確信と、その萌芽
この小説で頻出しテーマである浅尾の「労働」(傍点付き)は、この資本主義という完成された搾取システムの中での「人材」という私たちの商品化を言います。
小説の最後に、次のような段落があります。
そうだ、一生懸命になって働く人間たちの崩壊過程のなかにすら人間が手と手を取り合えるものがあるんだ。あんたがどんな人間だってかまわない、そのまま生きていてもいいんだという新たな確信の、その萌芽があるのだと気づいたんだ。
現代社会において、私たちは「均質化された商品」を作るための「均質化された商品」へと貶められ、人間としての個性を奪われています。
浅尾大輔は、そうした「働く人たち」が「崩壊過程のなか」にあっても、均質化の波に完全に飲み込まれない「あわい(間隔・感覚)」が、実は私たちのすぐ身近にあることを指摘します。それは、自分を縛り付ける安価な「百円ライター」を捨てること、あるいは、過酷な現実を受け入れた末の「あきらめ」という出口を塞ぐこと、その重要性を説いています。
衆院選2026
強者がさらなる強さを求め、軍拡や成長を競う影で、弱い人が弱いままでいられる世界は遠のいていく。ブルーシートのように薄く不安定な部屋に身を寄せ、あきらめと必死さのあわいで、私はこの浅尾大輔のことばに頷いています。
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