Damnation
相変わらず節水制限が出ているのだけれど、ボクを含めてほとんどの人は危機感なんてものはない。「なんとかなる」なんて思っている。
電力の問題も同じで、原発がダメなら水力や火力がある、なんてこれまた「なんとかなる」なんて思っている。かなり能天気な国民なのだ。その水力や火力に使われる水や化石燃料も、深刻な問題をかかえている、というのは周知の事実なのだけれど「なんとかなる」らしい。
地球は淡水危機に直面しています。2025年までには人類の水需要が、地球上で利用可能な全淡水の70%に相当すると予測されています。人類の水への需要をいかに抑えるか、それと同時に淡水の生態系をいかに保護するかが、21世紀における最も重大かつ困難な課題となっています。
パタゴニア:環境保護への行動:アワ・コモン・ウォーターズ (共有の水)
ダム建設必要性の証明
今年の渇水問題で設楽ダムの建設に拍車がかかる。10年に一度程度の渇水への対応というのが設楽ダム建設の目的になっていて、ダム建設反対派の人たちは「水は足りている」「渇水への備えはできている」ということをその理由のひとつに掲げて運動をしていたのだけれど、「水は足りていなかった」し「渇水への備えは今後もっと必要になる」ということが、この夏キチンと証明できた。
この先電力不足なんてことにでもなれば、水力発電所を造り設楽ダムの不特定目的に活用できる6000万m3の水を利用することも出来る。
「需要を抑えるか」ということよりも、どれだけ「供給できるか」だけを思考するというのが、資本主義の原則、ボクたちの大好きな経済ゲームの掟なのだ。
もちろんボクもそのゲームの参加者であって、原発もダムも今の快適な生活のためなら「どうぞ」と反対はしない。「良くない」と分かっていても、「じゃあ電力がない生活できますか」とか「じゃあ風呂も入れない生活でいいですか」なんて突きつけられると、「しかたないなあ」なんて思ってしまう。ほとんどの人がそうに決まっている。
電力や水、ボクたちはその根源的な問題をこの数年来(あの震災からなんだけれど)突きつけられている。生活改善なんてことが求められているのだろう。例えばTシャツ一枚作るのにどれほどの水が利用されているのか、なんて考えながら生活することの大切さを求めれれている、そう思う。

Damnation・宇連ダムで考えたこと
夢の中で誰かが囁いた言葉に導かれ、宇連ダムへと向かった。 巨大なダムが干上がるたびに、ボクたちはまた新しいダムを求める。人はまるで創世主のように振る舞い、造り出されたものに依存して生きている。失った自然の大きさよりも、得られた恩恵のほうが勝っていると信じたいのかもしれない。もはやダムなしの生活など考えられず、私たちは後戻りできない場所に立っている。
だが、自然を壊すことが悪であることを、誰もが知っている。背徳感を抱えながらも破壊と創造を止められない私たちは、いつかその報いを受けるだろう。いや、もうすでに代償を払い始めているのかもしれない。 不意に寒気がした。予感めいた恐怖が、私の体温を奪ったのだ。
ダム湖畔の最深部で、一頭のカモシカに出会った。じっとこちらを見つめるその瞳が、ボクに語りかける。 「山の神の怒りは、間もなく天罰となって人々に降り注ぐ」 彼女はそれだけを告げると、静かに山の中へと消えていった。
