水不足になりゃダムを、電力不足になりゃ原発を、ってことか

25%節水をしているらしいのだけれど、まだ夜間断水もなければスーパーにはミネラルウォーターが山積みにされている状況だから、それに台風も近づいているので、実感がない。宇連ダムの貯水率は3%なんて一昔前の消費税ほどで、恐怖的な数字なのだけれど、豊川の流れを見ているとなにかの間違いだろう、なんて疑いたくもなる。そして人々は普通に生活しているし、ボクのいるタクシー業界も毎日たっぷりの水を使用して洗車をしている。
近くの大島ダムの貯水率が67%だったり、東海地域のほかのダムが100%だったりするので、いざとなればそれを回してもらえるという安心感もあるのだろうし、過去に断水で困った経験もないもんだから(たぶん)みんな「のんほい」と暮らしているのだろう。それが福岡なんかと違うところか。
というボクも「水がなきゃなくてもどこかあるところへ疎開するか」なんて思ったり、「断水とか給水制限が行われて洗車なんて手間がなくなればいいのに」なんて思ったりしている。
昨年の電力不足時(本当に不足したのかは疑問だけれど)と同じで、この国の経済のためには(ようするにいかに大量生産大量消費させるか、すなわちGDPとかGNPなんて数字をいかにあげるかということ)、人びとの生命よりも、この国の未来よりも、原発やダムなんてものが必要なのだ。
たしかに必要なのだ。ボクたちはもう取り返しのつかないところまで来ているのだから、いまさら原始の生活には戻れないのだし、それゆえ原発やダムや公害なんてものまでも大目にみている。
いくらボクがオーガニックコットンのTシャツを着ても、あるいは自転車通勤をしても、水に優しい石鹸を使ってみても、それ以上にボク自身が地球にインパクトのある生活行動をしている。焼石に水どころか、火山の噴火に涙一粒、程度にしかならない。ほとんど自己満足でしかない。多くの人(自然とか環境なんてのを口にしている)もほとんど同じようなものだ。それは(自己満足でも)やらなければならないとしても、やっぱり取り返しがつかないところにボクたちはいるのだ。
ボクたちの選んだのはこの惑星が破滅するという道なのだ。
原発は再稼働する、それをボクは反対はしない。ダムも作られる、それもボクは反対しない。それどころか、断水とか停電になるぐらいならば、もっと大地を掘り起こして自然を破壊してでも、ダムや原発を造ってくれ、と叫ぶだろう。ボクの命のある間だけでも(「だけでも」だ)この惑星が存在すれば、とりあえずそれで良いのだ。そのあとのことなんてのは、きっと誰もイメージできてないのだろう。政治や経済なんてことに関わっているおとな達なんてのも、ほとんどボクと同じような思考をしているに決まっている。自分たちの命のある間だけでも不自由なく暮らしたい、と。
どうぞどうぞ原発もダムも造ってください。ボクの寝室の横に造ってくださっても結構なので。そのかわりに安定した生活を送らせてください。飢えや餓えのない生活を約束してください。
2013年給水停止についてのお知らせ
断水宣言…ではなくて、水道代を滞納していたら給水停止のお知らせが来た。このまま給水停止してもらって、節水にひと役買えればと思ったのだけれど、公園まで水を汲みに行くのも面倒なので止めた。アフリカの子どもたちに比べれば、公園に水を汲みに行くぐらいとても簡単なことなのだけれど、それすらできないボクもなんだか情けなくなる。
貧乏水なし…。

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