金野の八柱神社
豊川市御津町金野西沢、宮路山の豊かな緑に抱かれるようにして、金野の八柱神社は静かに佇んでいます。ここはかつて山の中腹にあった灰野集落の産神(うぶがみ)として、人々の暮らしの中心にありました。
灰野集落を見守る八柱神社
1970年代頃には30戸余りの民家がこの一帯にありました。しかし、現在はすべての住民が麓へと移住し、かつての集落の姿はありません。しかし、社殿はいまもなお大切に守り継がれ、山の上から麓に暮らす人々を変わらず見守り続けています。
五男三女の神々と、高橋是清の扁額
創建は万治元年(1658年)と伝えられ、古くは素盞嗚命の五男三女を祀る「八王子大権現」と称されていました。明治の神社制度改革を経て「八柱神社」と改称され、明治8年には村社に列格しています。
注目すべきは、拝殿に掲げられた扁額です。これは大正・昭和期の政治家、高橋是清による隷書(れいしょ)と伝えられており、深い山間にありながら当時の中央文化との繋がりを感じさせる貴重な遺構です。
多彩な境内社と「慈眼山円蔵寺跡」
一の鳥居をくぐると、津島神社と秋葉神社の祠が見えます。また、八柱神社社殿の西側には、金毘羅宮(金山彦・金山姫)や小根沢神社(宇賀魂大神)をはじめ、八幡宮、神明社、春日神社の五柱が祀られています。特に八幡宮は、青木地区から藤久保地区を経て合祀された歴史を持ち、地域の信仰の変遷を物語っています。
また、神社の東側に隣接する「慈眼山円蔵寺」とともに、かつての灰野集落における精神的な支柱であり、灰野峠を越える旅人たちの休息の地でもありました。今も美しく掃き清められたその空間には、かつての賑わいとは異なる、澄み渡った静寂と聖地としての気品が漂っています。
円蔵寺と竹内浦次:山間の聖地に宿る「向上」の精神 – 豊川の旅








五男三女の「八柱の神」
- 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 (マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
- 天之菩卑能命 (アメノホヒノミコト)
- 天津日子根命 (アマツヒコネノミコト)
- 活津日子根命 (イクツヒコネノミコト)
- 熊野久須毘命 (クマノクスビノミコト)
- 多紀理毘売命 (タギリビメノミコト)
- 市寸島比売命 (イチキシマヒメノミコト)
- 多岐都比売命 (タギツヒメノミコト)
金野の八柱神社の地図・行き方
参考文献
「金野八柱神社」神社を中心としたる宝飯郡史.
御津町史 本文編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
「八柱神社」愛知県神社名鑑 – 国立国会図書館デジタルコレクション