三河大島:救済の島から「ナメクジウオ」眠る無人の楽園へ

江戸の「救済の島」と近代海水浴場の誕生

三河湾に浮かぶ無人島・三河大島は、古くから三谷村(現・三谷町)の人々と深い関わりを持ってきました。嘉永4年(1851年)の『参河国名所図会』には、当時は人家が一軒のみ存在したことが記されています。特筆すべきは、生活に困窮した者がこの島へ渡り生業を立てれば「必ず貧困を免れる」と伝えられ、村人の救済の地としての役割を担っていた点です。

時代が下り、昭和5年(1930年)には三河三谷駅の開設に伴い、鉄道省指定の海水浴場となりました。昭和9年には竹内金六によって「ナメクジウオ」の生息が発見され、昭和16年には国の天然記念物に指定されるなど、学術的にも注目を集める島となりました。

戦後の接収と高度成長期の喧騒

戦後まもない昭和20年(1945年)10月、三河大島は蒲郡ホテルや常磐館とともにアメリカ進駐軍に接収され、在日米軍の休養地となりました。昭和26年の接収解除後は再び海水浴場として活気を取り戻し、高度成長期の昭和30〜40年代には、夏期だけで10万人以上の行楽客が訪れる空前の賑わいを見せました。

信仰と自然が息づく島内散策

現在も夏の期間(2025年は7月22日〜8月20日)には渡船が運行され、短い船旅を楽しむことができます。竹島の乗場(蒲郡観光汽船・伊藤造船乗船センター)を出た船は、東浜と西浜の各桟橋を結びます。 島の山頂部には「大島神社」が鎮座しています。江戸時代、海上平穏を願って三谷の町がある北向きに建立されました。また、五井山の秋葉神社と対になり「二神が力を合わせて用心する」との願いから、珍しい「北向秋葉神社」が併祀されているのも特徴です。

北側の海岸線には東西の浜を結ぶ遊歩道があり、波音を聞きながらの散策が可能です。貴重な「ナメクジウオ」の姿を野生で見るのは困難ですが、蒲郡市博物館ではその標本を見学し、島の生態系に思いを馳せることができます。

*ナメクジウオは1968年を最後に60年近く見つかっていません。2016年の調査でも発見されませんでした。

三河大島・大島神社 – 蒲郡の旅

三河大島の動画

三河大島の地図

天然記念物(動物)緊急調査報告 昭和42年度 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
尾三郷土史料叢書 第4編 参河国名所図絵. 上,中,下巻 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
今昔之三谷 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
大嶋ナメクジウオ生息地 文化遺産オンライン.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です