田の神古墳・田の神神社

大塚町百田(ひゃくた)の丘の麓に位置する田の神古墳。その古墳に寄り添うように、田の神神社が静かに鎮座しています。

田の神古墳の由来と伝承

田の神古墳は、古墳の石室を利用して田の神様を祀っていたことから、その名で呼ばれるようになったと伝えられています。これは、6世紀から7世紀にかけて築造された横穴式石室を持つ古墳です。露出している大きな石材から、この地域を支配していた有力な豪族の墳墓であったと推察されます。

この田の神古墳が1号墳であり、かつてはマラ山へと続く斜面に2号墳、3号墳も存在しましたが、これらは現在滅失しています。また、この古墳には古くから「いじると祟りがある」という伝承が残されています。

季節を巡る田の神信仰

隣接する田の神神社は、古墳の墳頂に祠を建てて「田の神」をお祀りしています。この神様は、稲作の豊凶を見守る神であり、稲作が始まると山から里に降りてきて「田の神」となり、収穫期が終わると山へ帰って「山の神」となるという、季節のサイクルを持つ神として信仰されています。

この田の神神社と対をなすように、御堂山へと続く山中には「山神様」が祀られています。また、現在西屋敷に鎮座する神明社は、元はこの場所にあったと伝えられています。

伊勢神宮と繋がる神聖なライン

古墳入口の解説板には、田の神神社、神明社(大塚)、伊勢の神島、伊勢神宮がほぼ一直線上にあることが指摘されています。さらに、この地域がかつて神領であったという事実から、田の神古墳は、古代の神社信仰と極めて深い関連性を持つものと推測されています。

神田と稲作、豪族の墳墓である古墳、そして神社信仰。これらの関係を考察すると、この場所が日本の歴史の源流と深く結びついていることがわかります。

参考文献 『大塚・相良ふるさと博物館』
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館
「田ノ神古墳」文化財総覧WebGIS

田の神古墳・田の神神社の画像

解説板

田の神古墳前の解説板が劣化して判読できませんので、以下全文を書き出しています。

田の神古墳

現在地より幅の狭い山道を奥へ四〇mばかり上がったところにある。古墳の石室を利用して田の神様がまつられており、これに関連してか田の神古墳と古くから呼ばれている。横穴式石室の古墳で、露出している大きな天井石などからみてこの地を支配した豪族の古墳と推察されるが、土地の古老が埴輪や土器が出土したと語っていることから、すでに大がかりに盗掘されていると推察される。

田の神神社

この地区には、昔から山神様・砥神山・神ノ木・東笠神・西笠神・神田川・神明社など“神”という字がつく地名が多くある。西大塚の氏神様である神明社は、その昔、田の神神社の位置にあったものが、西屋敷の現在地へ移転したと伝えられている。

田の神神社が伊勢神宮の方向を向いて鎮座しており、また、田の神神社、神明社、伊勢の神島、伊勢神宮がほぼ一直線上にあること、さらに、この地が神領であったことなどを考え合わせると、田の神古墳は神社信仰との関連が極めて深いものとも推察される。


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