西の宮 – 丹野城主 萩原芳信の埋葬地

西の宮(にしのみや)は、戦国時代の丹野城主、萩原左衛門尉芳信の埋葬地と伝えられる場所です。豊川市御津町赤根の林の中に、基壇と石段の上に石の祠が祀られています。

萩原芳信は、文明年間(1469年〜1487年)に御堂山に丹野城を築城しました。しかし、築城の翌年、文明2年(1470年)に牛久保城主の牧野成時(古白)の攻撃を受けます。芳信は山を攻め降りますが、僧徒の裏切りに遭い、城近くの備後林で自刃して果てたと言い伝えられています。

芳信の死後、村人たちは自刃の地を備後林と呼び、備後塚を残しました。そして、その亡骸を備後塚近くの西の丘に埋葬し、これを「西の宮」と呼んで弔うようになりました。

西宮の傘松

「西の宮の傘松」は、丹野城主・萩原芳信が自刃した際に乗っていた愛馬を埋葬した場所にあったとされる松の伝説です。

この地には、幹の目通りが3メートルを超える巨大な松がありました。その枝は四方に大きく広がり、まるで傘を広げたような形をしていました。その形から「傘松」と呼ばれていました。枝は道路をまたいで隣の耕作地まで伸び、一度地面に触れてから再び上へ伸びていくという特異な姿でした。

そして、古くから、この松の枝を刈ると祟りがあると言い伝えられていました。そのため、誰も伐採することなく大切に守られてきました。

残念ながら、現在その松は失われてしまいました。

この地域には、他にも芳信の息女が自刃した姫塚や、子孫が創建した萩原神社など、芳信にまつわる多くの神社や史跡が残されています。

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西の宮 萩原芳信埋葬地
西の宮

西の宮の画像

地図・行き方

5文化財めぐり | 御津町商工会
続海浜独唱 4 (361~396) (三河アララギ叢書 ; 第74篇) – 国立国会図書館

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