鞘ケ淵と清田村の牧野九郎義房
鞘ケ淵(さやがふち)の碑は、水竹神社の境内に、しめ縄をかけられ、大切に祀られるように立っています。しめ縄が文字の一部を覆っているため、少し持ち上げて見ないと碑文を読むことはできません。
鞘ケ淵の碑文の内容
この碑には、次のような伝説が記されています。
今からおよそ450年前の天正年間(1573年〜1592年)の頃、清田山から東海道へ通じる道筋に「椿沢」と呼ばれる場所がありました。そこには古くから大蛇が住み着き、通行人を困らせていたといいます。
この話を聞いた清田村の牧野氏の祖先である牧野九郎義房は、人々のために大蛇退治を決意し、そして見事に討ち取りました。
大蛇が退治されると、間もなくして大雨が降り、その水は川となって流れ始めました。そして、その川の淵に、討ち取られた大蛇の頭とともに、義房の刀の鞘が流れ着きました。これが名の由来となり、その淵は「鞘ケ淵」または「九郎三ケ淵」と呼ばれるようになったと伝えられています。
義房の刀は、刀匠・兼辰の銘が入ったもので、天神社(現在の水竹神社)に奉納されました。
その後、川の流れは埋もれて途絶えましたが、跡地は水たまりとなり、日照りの時でも水が枯れることがなかったといいます。
蒲郡の地形と水資源
さて、蒲郡市は広い平野を持っていますが、大きな川がないという特徴があります。その地形は、専門的には「乏水性の海岸扇状地」と言われています。これは、大きな川がなく、傾斜地のため水が地表に留まらず、そのまま海岸まで流れ出てしまうという、水に乏しい土地であることを示しています。そのため、市内には古くから多くのため池が点在しています。この水竹神社の北側にも水竹池があります。
昭和43年(1968年)に豊川用水が完成し、宇連ダムや大島ダムから水が供給されるようになるまで、この地域にとって水は貴重なものでした。
この伝説は、水の確保に苦労していた昔の人々が、雨を降らせる神々や、川を造る義房、そしてそのための大蛇という、壮大な物語を通じて、水資源への強い願いと感謝を伝えているのかもしれません。
蒲郡町誌 – 国立国会図書館
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館
ため池ハザードマップ – 蒲郡市の農業について

鞘ケ淵の碑 碑文
(カタカナはひらがなに変換しています)
天正年間清田山より東海道に通す中路に椿沢と云へり処あり往古より大蛇住みて通行人を悩ませり此時清田村牧野祖先浪士牧野九郎義房なる者之を聞き大に憤慨し諸人の為に大蛇を退治せり時に黒雲現れ豪風雨起り其濁水の流域は川と成り蛇頭と共に義房の所持せる鞘流れ来りて此処に漂着す其剣は当社に奉納せられ刀匠兼辰とあり之に依て鞘ケ淵と云ひ又は九郎三ケ淵とも云う後川は自然に埋もれて水溜りとなりしか旱魃と雖とも水更に絶ゆる事なしと云う


