石山神社 – 勧嶽に勧学院あり
石山神社は、蒲郡市清田町木森の五井山山裾にある小高い場所に静かに鎮座しています。
創建と勧学院
社伝によると、長保2年(1000年)に、大江定基(おおえのさだもと)、のちの寂照(じゃくしょう)が三河守護職となった際、清田に勧学院(かんがくいん)を建立しました。
その鎮守社として、加賀国の白山神社より白山神を勧請し祀ったのが神社の始まりと伝えられています。
もともと、神社は清田町木森86番地に鎮座していました。その後、大正元年(1912年)に、木森にあった白髯社、八幡社、秋葉社、御鍬社の四社を合祀して、現在の地へと移転しました。
勧学院の遺構と地域史
勧学院があったとされる場所は、石山神社の東側に今なお勧嶽(かんがく)という地名が残っているあたりです。そして、この地名が往時の名残であると言われています。その一帯には壮大な伽藍が存在したとされます。しかし、延文の頃(1356年~1360年)に廃寺となったと伝えられています。
また、清田町岡には、「岡の六地蔵」と呼ばれる古い一石六仏の地蔵像がありますが、これも勧学院跡から出土されたものと言われています。そして、この周辺は歴史の古い地域であり、「ひめぐり古墳」や「権現山古墳」といった古墳時代の遺跡も残されています。また、『蒲郡史談』には、神社の境内そのものが古墳であったという説も記されています。
領主からの崇敬
石山神社は、松平(徳川)時代になると、松平家の鬼門除けの守護神として篤い崇敬を受けました。特に、境内の「御由緒」によると、慶長2年(1597年)には、後の徳川家康である松平元康(当時の表記)より、小判百金と神田の寄進があったと記されています。
参道から続く五井山の山中一帯までが神域といった厳かな雰囲気を醸し出しており、東側の小道はそのまま五井山の登山道へと続いています。
愛知県神社名鑑 – 国立国会図書館
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館
- 御祭神 菊理媛命 伊射波止美命 猿田彦命 軻過突智命 応神天皇
- 例祭日 10月第1日曜日
石山神社の画像








