形原神社 – 春日神社、茂理神社の謎
形原神社にまつわる歴史の謎
形原神社は、『延喜式神名帳』に記載されている式内社(しきないしゃ)1です。神社のウェブサイトによれば、「社伝によると欽明天皇(630年~641年)の時、東夷鎮定の大将藤原千方公がこの地に駐屯し、将校以下士卒をして荒地を開拓し山麓に埴安神を祀る」とされています。
春日明神、春日山
この由緒には、一つの大きな謎があります。(神社の由緒や社伝には謎がつきものですが、)その謎とは、『神社を中心としたる宝飯郡史』が提起した「今日の形原神社が果たして式内形原神社なりしやていふ問題」です。。
要約すると、棟札などの資料から、現在のこの社は元々「春日大明神」であったと考えられています。本来の式内社である形原神社は別の場所にありました。しかし衰微し、その後に春日社と一緒になった(合祀された)という説です。
この合祀説については、『蒲郡史談』にも記述が見られます。同書は、歴史学者である太田亮(おおたあきら)氏の見解、「形原神社は後にできた春日明神と重なり合って、後には、春日明神を形原神社と呼ぶようになった」を引用し、これを「正しい」としています。
さらに、「春日明神は、藤原氏の荘園であったこの地方の鎮守神として奉斎され、それが後には形原神社とも呼ぶようになったと考える方が正しく、式内社形原神社とは別なものである」と結論づけています2。
茂理神社 – 本来の形原神社はどこにあったのか
では、本来の式内社である形原神社はどこにあったのでしょうか。『神社を中心としたる宝飯郡史』は、「可能性あるのは茂理(もり)神社」であるとしています。
そして、「この茂理社の所在地を尋ねるに、春日大明神社の南方約二町に形原神社跡地と称する地あり。背後を宮ウシロと云い、そしてその東方約三丁にして鳥居跡あり。字森(あざもり)と称する部落内也」と具体的な場所を記しています。
しかし、現在、森という地名は残っているものの、この文書に書かれているその他の旧跡や地名は見当たりませんでした。この謎を追うには、小さな旅ではなく、本格的な歴史探訪となりそうです。今回はこのあたりで筆を置きます。
- 御祭神 埴安大神、朝廷別命、誉田別命、豊受姫命、天児屋根命
- 例祭日 4月第1日曜日
形原神社の画像





