蒲郡が誇る不屈の横綱・玉の海の面影を訪ねて

市民体育センターに立つ、美しき等身大の石碑

蒲郡市市民体育センターの敷地内、相撲場のすぐ傍らに、第51代横綱・玉の海(たまのうみ)の顕彰碑が静かに佇んでいます。この碑は、彼の三回忌にあたる昭和48年(1973年)10月、後援会の解散を前に建立されました。

高さ約2メートル、幅約1.2メートルの石碑には、現役時代の堂々たる立ち姿が等身大の浮き彫りで刻まれており、その精緻で美しい仕上がりは、今も土俵を見守る横綱の息遣いを感じさせます。

努力で掴み取った横綱の地位と、早すぎる別れ

昭和34年の初土俵以来、玉の海は全76場所を一度も休まず皆勤し、通算619勝を挙げました。新弟子検査では体格が合格基準ギリギリだったという逸話もあり、並々ならぬ努力と根性で最高位まで昇り詰めた「努力の天才」でした。

しかし、昭和46年(1971年)10月、現役横綱のまま27歳という若さで急逝。盲腸の手術後に併発した急性肺血栓塞栓症が原因でしたが、巡業や本場所を優先し治療が遅れたことも一因と言われています。あまりに突然の訃報に、地元・蒲郡の人々は深い悲しみに包まれました。

今も地域に息づく横綱の記憶

玉の海の墓所は市内の天桂院にあり、今も多くのファンが訪れます。また、水竹神社には横綱昇進を奉告して自ら植樹した檜が、時を経て立派に成長し続けています。

市民相撲場の横、石の基壇の上に建つこの碑は、今日も稽古に励む市民や力士たちの取り組みを、静かな眼差しで見守り続けています。

横綱 玉の海の顕彰碑

玉の海顕彰碑の地図・行き方

顕彰碑の背には次のように刻まれています。

  • 本名 谷口正夫
  • 昭和四十六年十月十一日逝去
    行年二十七才
  • 記録
  • 連続二十七場所勝ち越し
  • 連続七十六場所九百二十四回出場
  • 殊勲、敢闘賞六回
  • 優勝六回
  • 昭和四十五年一月横綱推挙

昭和四十八年十月建之

蒲郡市長 長谷部半平
蒲郡市玉の海後援会
岡崎市 石研 池上年作

参考文献
「玉の海」相撲の史跡 6 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
近世名力士伝 : 谷風から玉の海まで – 国立国会図書館デジタルコレクション.

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