大久古池:心中「お駒喜一」の悲恋

蒲郡市竹谷町に位置する大久古池は、寛永年間(1624年〜1644年)に徳川幕府の奨励を受け、形原領主・松平紀伊守によって修築されたと伝えられています。広さ約4,700坪を誇る市内でも有数の古い溜池で、現在は改修工事が進み、新たな姿を見せています。

130年の時を越えて語り継がれる心中物語

この池の名を世に知らしめたのは、『蒲郡風土記』にも記された「お駒喜一(おこま・きいち)」の心中事件です。昭和35年の記述から遡ると、今から約130年ほど前、明治時代中期に起きた出来事とされています。

地元の奥林出身で西尾の飲食店に勤めていたお駒と、岡崎市六供町でカヤの行商をしていた既婚者の喜一。許されぬ恋に落ちた二人は、喜一の妻に知られたことで追い詰められ、お駒の故郷である奥林へと辿り着きました。しかし家門を汚すと勘当され、行き場を失った二人は大久古池の畔を終焉の地に選びました。

舞台のような最期と、地域に息づく地蔵堂

二人は池のほとりに白い布を敷き、四方にシキビを立てて、まるで芝居の舞台のような「死場」をしつらえて自ら命を絶ったといいます。この劇的な最期は当時の人々の心を揺さぶり、「数え歌」が作られたり、拾石神社の祭礼で芝居「大久古心中お駒喜一」として演じられたりするほど話題となりました。

池の南側、木々が深く生い茂る中には、二人の菩提を弔うために祀られた地蔵尊と、寄り添うように植えられた夫婦杉があります。今も地域の人々によって大切に守られているこの地蔵堂は、かつての悲恋を静かに今に伝えています。

大久古池の地図・行き方

蒲郡の寺院 – 蒲郡の旅

参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
「大久古池」新訂三河国宝飯郡誌 – 国立国会図書館デジタルコレクション

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