金野熊野神社:熊野族が切り拓いた信仰の道
熊野一族の進出と広がり
豊川市御津町金野に鎮座する「熊野神社」は、この地方に点在する熊野社の一つです。かつて熊野一族は西三河から東三河へと入り、佐脇庄を拠点に勢力を広げました。
その後、藤原俊成による蒲形・竹谷の開発を経て、一族は五井から国坂峠を越えて金野へ、さらに灰野峠を越えて国府へと進出。御堂山を越えて相良の地にも社を築き、一帯に篤い信仰を広めていきました。
八幡社(五井) – 安達盛長が再建しました
熊野神社跡(相楽町) – 古代から続く信仰の交差点
行基の祈祷と中山寺の創立
金野熊野神社の起源は古く、天平元年(729年)に行基が熊野権現の神託を受け、自ら刻んだ観世音菩薩を安置して「竜岳山中山寺(仲仙寺)」を創立したことに始まります。その後、神殿が建立され「熊野十二社権現」として金割(かなわり)の産土神となりました。天正3年(1575年)の長篠の戦いによる兵火で焼失する悲劇もありましたが、寛永18年(1641年)に現在の地へ遷座されました。
弁慶の伝説と地名「金割」の由来
かつてこの地は「中山」と呼ばれていましたが、現在は「金割(鐘破)」という地名が残ります。これは、武蔵坊弁慶が三河国分寺から持ち出した鐘が「国分寺が恋しい」と鳴いたため、怒った弁慶がここで鐘を叩き割ったという伝説に由来します。
明治3年(1870年)の神社制度改革に伴い、仲仙寺境内を離れ当時天神様を祀っていた「菅原神社」の鎮座地(現在地)へと遷されました。そこで菅原神社を合祀し、二社を合わせて改めて「熊野神社」と改称されました。また、国坂の国坂神社も合祀されています。
行基、熊野族、そして源義朝や弁慶といった歴史上の人物たちの足跡が重なる、極めて由緒深い名社です。
- 御祭神 伊弉冉尊 菅原道眞
- 例祭日 4月第3日曜日






金野熊野神社の地図・行き方
愛知県神社名鑑 – 国立国会図書館デジタルコレクション
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館デジタルコレクション
御津町史 本文編 – 国立国会図書館デジタルコレクション