五井のため池:幕府ゆかりの「大池」と失われた池の記憶

徳川幕府が築いた「三河三池」のひとつ

五井町にはかつて「小池、大池、中島池、新池、御宮池、鎮守池」という6つの中核となるため池が記録されています。その中でも「大池」は、徳川幕府によって造成された「三河三池(塩津、深溝、五井)1」のひとつであると伝えられています。幕府が直接関与して築かれたという事実は、この地がいかに水不足に苦しみ、また農業生産の重要拠点として重視されていたかを物語っています。

変遷と現在の姿

時代の変化とともに、現在は「大池、新池、御宮池」の3つが残り、今も地域の風景を形作っています。姿を消した池については、以下のような変遷が伝えられています。

  • 小池: 古い時代に埋め立てられたと言い伝えられています。
  • 中島池: 新池のすぐ北側に位置しており、かつては新池とひとつに繋がっていたと考えられています。
  • 鎮守池: 長泉寺の山門脇にありました。明治21年(1888年)の地図には、山門へと続く道路の右側にその姿が記されています。

治水の歴史を今に伝える

かつて6つあった池のうち、半分が姿を消しました。しかし、幕府の威光を今に伝える大池や、神社にゆかりの深い御宮池などは、先人たちが心血を注いだ治水の歴史を今に伝えています。これらの池を巡ることは、五井の豊かな土壌を支えてきた知恵と情熱を辿る道でもあります。

行佛と井戸祭り

五井町の北側には、かつて「行佛(ぎょうぶつ)」という地名があったと伝えられています。そこには、地名の由来となったとされる「五つの井戸」のうちの一つが存在していました。

この井戸は領主・松平氏からの保護も厚く、地域にとって極めて重要な場所であったことがうかがえます。その信仰と感謝の証として、江戸時代から明治維新を迎えるまで、代々にわたり「井戸祭り」が盛大に執り行われていたと語り継がれています。

竜が滝と二つ岩・水源と雨乞の記憶を辿る
お皿様・聖山
大巌神社 – 拾石神社との関係

参考文献
五井町文化財調査委員会編.2023.『五井の歩き方』.三恵社.
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション

五井町 アーカイブ – 道中の点検

  1. 塩津の大久保池、深溝の誉師ノ池

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です