西浦小学校の残石
2025年11月22日
残石(ざんせき)とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて、城の石垣を築くために採石場(石丁場)で切り出されながら、何らかの理由で使われずに現地に残された石材です。
愛知県蒲郡市には、名古屋城や吉田城(豊橋市)の築城に用いられた石丁場が西浦半島や竹島にあり、当時の作業の痕跡である残石が現在も数多く残されています。
特に、残石に刻まれた大名の刻印は、築城における各大名の役割分担や歴史を知る上で非常に貴重な資料となっています。
地域に受け継がれる西浦小学校の残石
蒲郡市西浦町では、残石が八王子神社で沓脱石(くつぬぎいし)として利用されている例など、地域の中で活かされてきました。
特に、西浦小学校(2026年開校予定の義務教育学校「西浦学園」に改築中.)に残る残石は、地域の歴史を見守ってきた証人です。
小学校の庭に残る、矢穴(やあな)の跡がある大きな残石は、昭和6年に西浦の浜から村民が3日がかりで運び込んだと言われています。この石は、かつて忠魂碑、二宮金次郎像、そして現在は校訓碑の台座として、時代を超えて活用されてきました。
複合施設として生まれ変わる「西浦学園」でも、この歴史的な残石はきっと大切に受け継がれ、未来を担う子どもたちを静かに見守り続けることでしょう。
西浦小学校の残石の画像
この地方の幡豆石(西浦石)が城の石垣に使用された主な理由は、次のように集約できます。
- 優れた石材の品質
- 高い高度と耐久性
- 加工のしやすさ
- 運搬
- 築城地に近い(名古屋、豊橋)
- 海上輸送ができた
つまり、品質とコスト面で優れていたということになります。海岸での採石は陸上の運送を必要とせずに海上輸送ができました。





