星越山秋葉殿 – 歴史と信仰

星越山秋葉殿は、秋葉三尺坊大権現を御本尊として祀り、蒲郡市大塚町星越の山中に静かに佇んでいます。

境内にある由緒によると、延享年間(1744年〜1748年)に大塚村で大火災があり、人々が深く憂慮したと言います。そのため、延享3年(1746年)5月、長興寺第11世和尚の発願により、火災や病難を除き、修行の道に魔障なく諸願が円満成就することを祈るため、秋葉三尺坊大権現を長興寺境内に勧請し、安置したのが始まりと伝えられています。その後、昭和27年(1952年)7月に現在地へと遷座したと記されています。

秋葉三尺坊大権現とは

秋葉三尺坊大権現とは、三尺坊という実在の修験僧が、厳しい修行によって神通力を得た後、火伏せの神として現れた姿(権現)です。この「権現(ごんげん)」という名称は、日本の神は仏が一時的に姿を変えて現れたものだとする神仏習合の考え方に基づいています。

その有名な例として、日光東照宮に祀られている東照大権現(徳川家康)が挙げられます。日光東照宮は神社ですが、創建当初から権現を祀る神仏習合の施設(権現造)であり、この点でも三尺坊の信仰と共通しています。

明治の神仏分離とその影響

明治時代までは、秋葉社や秋葉神社と呼ばれる施設の多くが、この秋葉大権現をお祀りしていました。しかし、明治維新後、神と仏を明確に分ける神仏分離令が発令されます。

この時、神社の多くでは「秋葉三尺坊大権現」という仏教側の存在を排除しました。そして、その代わりに火の神である軻遇突智命(かぐつちのみこと)を祀る祭神変更が行われました。これは、牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていた天王社が、神道側の素盞嗚命(すさのおのみこと)を祀る素盞嗚神社となった例と同じです。

星越山秋葉殿が持つ歴史的価値

特筆すべきは、ここ星越山秋葉殿が、明治の神仏分離令時とそれ以降も、長興寺に(あるいは神宮寺として)安置され続けた点です。これは、神仏分離の際、神社に祀られていた仏の多くは失われましたが、逆に寺院に祀られていた権現などの神仏習合の神は残ることが多かったためと考えられます。

昭和27年7月、長興寺から秋葉三尺坊大権現が星越山中腹に移座されます。この時、それまで長興寺が守り伝えてきた仏教的な方式に基づき、「星越山」の山号と、「秋葉殿」の殿号を付けました。そして独立した施設として現在地に建立されたと考えられます。

また、社殿前にある鳥居は、長興寺の境内に安置されていた時代から、権現堂として存在していたことを示唆しています。また、一対の白狐像がくわえる巻物らしきものは、稲荷神の象徴というより、三尺坊の修行と知恵(経典)を象徴していると解釈するのが自然です。

結論として、星越山秋葉殿は、日本の歴史において一度は切り離された「神」と「仏」の結びつき(神仏習合)を、寺院の伝統として現代にまで伝える非常に稀有で貴重な場所であると言えます。

星越山秋葉殿の画像

大塚内草坪一体の造林記念碑が境内に建てられています。(画像右下)これは、奉公者の林野庁長官顕彰林になっている山に、大塚町民が植林した記念碑です。明治43年(1910年)に庚申堂内に建てられ、その後ここに移されました。

参考文献 『大塚・相良ふるさと博物館』
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館

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神仏習合 (岩波新書 新赤版 453) | 義江 彰夫 

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