三河大島・大島神社
大島神社は、三河湾に浮かぶ無人島、三河大島に鎮座しています。
三河大島は、古くから「大島や小島がさきの仏島すずめが森に恋の松原」という歌に詠まれ、『三河二葉松』などでも景勝地として親しまれてきました。現在、島へは夏の海水浴シーズンのみ渡船が運行しています。
島の歴史と賑わい
三河大島は、近現代においてレジャー地として大きな賑わいを見せました。
観光地化と戦後の発展: 昭和5年に鉄道省の指定海水浴場・キャンプ場に指定されると、多くの海水浴客で賑わいました。
- 米軍の休養地: 戦後は一時的にアメリカ進駐軍に接収されました。そして在日米軍の休養地でした。
- 高度成長期の全盛期: 昭和26年に接収が解除されると、高度成長期の昭和30年代・40年代には、年間13万人もの利用者が来島していたと記録されています。
大島神社三社
大島神社は、大島秋葉神社、五社神社、宇賀神社の三社を総称した名称です。
東浜にある鳥居をくぐり石段を登った大島の山頂に境内があります。そこに大島秋葉神社が鎮座しています。秋葉神社の横の道を南に進むと、龍神橋があります。渡るとすぐに五社神社が見えてきます。その先、南北に並ぶように宇賀神社が鎮座しています。
大島秋葉神社・珍しい「北向き」の社殿と火伏の信仰
大島秋葉神社は、社伝によると江戸時代に三谷に住む人々の「大難消除、海上平穏、家内安全」を祈願し、三谷町がある方向へ向けて北向きに建立されたと伝えられています。
この「北向き」は神社としては極めて珍しい配置ですが、これには特別な理由があります。
- 火災からの守護: これは、当時三谷で頻発していた大火を憂いた領主の工夫によるものです。
- 領主の対策: 『蒲郡史談』には、領主が「三谷は火災が多くて、領民が苦しむので、何とか工夫しなければならぬ」として、五井山の山中と三河湾の海上(大島)に秋葉神社を移遷・勧請したと記されています。
- 二神の連携: こうして、「二神が力を合わせて用心したらよかろう」という願いのもと、「世にも珍しい北向秋葉神社」ができたとされています。
大正15年(1926年)の棟札には、その時点での本殿は、若宮社(三谷)の境内社の田尻神社社殿だったと伝えられています。その棟札に本殿建立天文2年(1737年)とあります。ただ、「宇賀神社由緒」には、天正10年(1582年)「堂宇建立」と見えます。
- 御祭神 天加具土大神です。
五社神社・郷社から勧請しました
五社神社は、明治14年(1881年)に、当時の神主であった竹内又治郎氏が、御津神社、赤日子神社、八剱神社、事比羅神社、蛭子之命の五社を奉斉したと伝えられます。
宇賀神社・八大龍王の跋難陀龍神(ばつなんだりゅうじん)
宇賀神社は、久安2年(1146年)には「一宇の神祠のみ」奉斉したと伝えらえます。その後、治承4年(1180年)に、藤原俊成が参詣したとも言われています。また、慶長5年(1600年)に徳川家康が島に渡り参拝したと伝えられます。
- 御祭神 跋難陀龍神
山頂全体に、3社が北を向いて並んで、神域を形成しています。また、無人島という島の環境が、神域性を高めています。
大島神社の画像









