八百富神社 – 竹島弁財天の由来
八百富神社は、三河国国司 藤原俊成公が近江国・竹生島(ちくぶしま)の弁財天を勧請したのが始まりです。以下、竹島縁起の要約になります。
創建と地名の由来
勧請当時、島には竹がなかったため、俊成卿は竹生島から竹を二本移植し、これを神体として祀りました。島の名は、この二本の竹にちなんで二竹山(にちくざん)とも呼ばれました。
その後、竹が繁殖して島中が竹林となったことから、「竹島」と称されるようになりました。
俊成の願いと神の霊験
俊成卿が弁財天を勧請したのは、竹谷庄と蒲形庄を開発し、成就させることでした。
竹生島の弁財天は、天の真名井三女霊神のうちの田子理姫命(たごりひめのみこと)にあたります。
そして、この八百富神は霊験あらたかで、勧請の願いは叶えられました。
竹島の景観と名物
竹島は陸地から約4町(約430m)離れており、潮が引くと歩いて渡れます(徒士渡)。
島からは、伊勢の海や朝熊山、師崎、伊良湖崎などが遥かに見渡せる、筆舌に尽くしがたい風光明媚な場所です。
南の岬にある龍燈の松には、旧暦の6月と7月の6日の夜半に龍燈が輝いたとされます。
名物としては、「沖の島の海辺の松」、「干潤の石蟹」、「種風味のアサリ」の三種が特に知られていました。
社殿の変遷と再興
竹島には古くから社殿が造営され、弁財天十六童子の像が祀られてきました。一時、社領や文書類が火災や大潮で失われ、神徳が衰える時期がありました。
しかし、享保20年(1735年)8月23日に、神明の徳化が開き、「八百富神社」として神号勅許(天皇からの公認)と御翠簾(みす)などの寄附を受けました。社家(神職)の地位も高められ、遷宮の儀式が行われました。
これにより神徳は一層増し、国土の平和や領主・氏子の繁栄を守護するようになったと結ばれています。
ここまでが、「竹島縁起」の要約になります。
神社の創建時期
神社の創建については諸説ありますが、現在は久安年間(1145年〜1150年)とされています。
伝承では、養和元年(1181年)の創建と伝えられます。しかし、神社庁の見解は、俊成が国司として在任していたのが久安年間であること、また、当時竹谷・蒲形両庄が熊野領となっていた歴史的背景から、久安年間の勧請を採用しています。
竹島の概要と天然記念物
竹島は、昭和7年(1932年)に橋が架けられるまで船で参拝する孤島でした。孤島であったために独自の植生が保たれ、その植物群保護のため、昭和5年(1930年)に国の天然記念物に指定されています。
また、 島全体が神社の鎮守の森(社叢)となっており、「蒲郡の名木50選」にも選ばれています。
境内社
八百富神社の境内には、主祭神のほかに以下の四社が鎮座しています。
- 宇賀神社 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 稲荷の神様(五穀豊穣、商売繁盛)
- 大黒神社 大国主神(おおくにぬしのかみ) 福徳円満、縁結び
- 千歳神社 藤原俊成(ふじわらのとしなり) 竹島弁財天の勧請者(長寿、芸能)
- 八大龍神社 豊玉彦命(とよたまひこのみこと) 海の神様、安産、雨乞い
竹島と竹島園地周辺は、観光客の多い地域です。これも、神徳で俊成公の願いが叶ったということなのかもしれません。
愛知県神社名鑑 – 国立国会図書館
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館
- 御祭神 市杵島姫命
- 例祭日 10月第3日曜日
八百富神社の画像











