稲荷神社(竹島) – 交通の要衝に鎮座する商売の神
稲荷神社(竹島)は、蒲郡市竹島の路地に静かに鎮座しています。かつて交通の要衝であった場所に位置しており、現在は旅館や商店が並ぶ地域で、商売の神として篤く信仰されています。
立地と歴史:街道と城への結節点
明治初期の地図によると、当時の道は現在の竹島園地交差点までです。そして永向寺の裏は小高い山で、その「丸山」を迂回していたようです。(今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト)
街道の要所
南北に走る2本の道と、海岸線を蒲郡駅方面へと走る道が、かつて茶屋場(ちゃやば)(現在は石碑が残る)で交差し、そしてそのまま海岸へと伸びていました。
登城口との結びつき
茶屋橋を過ぎ、現在の観音堂付近から稲荷神社前の道路は、不相城(ふそうじょう、城山)への登り口のように見えます。
このことから、稲荷神社(竹島)は、三谷へ続く街道と不相城への登城口を結ぶ重要な交差点に鎮座しており、昔から人通りが非常に多い場所だったことがわかります。
稲荷神社(竹島) 創建の由緒と内田氏
稲荷神社(竹島)は、享保7年(1722年)5月10日に創建されました。
勧請者
府相の庄屋であった内田茂平が上洛し、伏見稲荷神社(京都市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
内田氏と稲荷神社(竹島)のつながり
同じ竹島町内にある御鍬神社(明和4年勧請)の勧請者も内田幸助と伝えられています。このことから、内田氏の一族、あるいは親子関係にあった可能性が示唆されます。
内田氏の系譜
『蒲郡史談』によると、蒲郡の内田氏は、東から移住した氏族で、鎌倉時代の武士である工藤次郎左ヱ門尉高景(くどう たかかげ、北条氏の被官)の末裔とされます。
- 高景の八代目の孫である勝間田遠江守正利は遠州勝俣村に住み、勝間田を名乗っていました。
- 正利は今川氏に従い、菊川城の戦いで戦死しました。そのため今川氏はその子正之を旧領の内田村に住まわせました。そしてそこで内田を名乗るようになったとされています。
徳川家康との伝説
また、徳川家康の竹島伝説には内田氏が登場します。家康が府相に上陸して竹島に参拝した際、内田義隆がトンボ貝(トリガイ)を菊の葉に載せて献上しました。家康はこれを大変喜びました。そして「あきつ島手入る(国を治められる)端相(ずいそう)だ」と言って、内田氏に紋所として賜ったと伝えられています。
現在の信仰
現在、神社の周辺にはホテル、飲食店、小売店、内田板金などが集積しています。また蒲郡水族館もすぐ近くです。こうした立地から創建以来、商売繁盛の神様として、地域の人々から篤く祀られています。
- 御祭神 保食命
- 例祭日 2月初午
稲荷神社(竹島)の画像






